フランケンシュタインの大腸菌

生命1.0への道 第12回
藤崎 慎吾 プロフィール

細胞の「死」を定義する

さて、フランケンシュタイン実験の話を続けることにしたい。そう、まだ終わっていなかったのである。なぜなら大腸菌のプロトプラストは、ハイブリッドセルになる時に膜が破けて一瞬、死にそうな思いはしたかもしれないが、実際には死んでいない。したがって田端さんの目的は、まだ達成されていないのである。

「自分としては、ハイブリッドセルが1回死んだ状態というのをつくって、そこから細菌を再生させたいんです」と田端さんは言う。

「死んだ状態になったあと、何かパータベーション(刺激、揺さぶり)をかけていったら、そこからまた細胞が再生してきましたという結果を出したい」

ここで「パータベーションをかける」というのは、まさしくフランケンシュタインが怪物に生命を与えた、仕上げの手順を思い起こさせる。原作小説では「命の火花を点ずる」といった程度に、あっさりと書いてあるだけだが、映画などでは雷が鳴り響き、テスラコイルのような機械から稲妻放電が駆け巡っている場面だろう(写真6)。いや、大腸菌相手に、そんな大がかりなことはしないと思うが――。

田端さんは続ける。

「何か刺激を入れたときに、そこからポンと何かが出てきましたとなれば、死んだものから生きたものをつくれたことになります。その死んだものというのが単なる物質であるなら、そこから生命ができたと捉えることもできるので、そういうのにはチャレンジしたいと思っています」

つまり死体を利用した「生命の創造」だ。しかし煮たり焼いたり潰したりせずに、どうやってハイブリッドセルを殺したらいいのだろう。どのような状態になれば、細胞が「死んだ」ということにできるのか。その「死」の定義がわかっていないし、田端さんによれば「そもそも生や死をめぐる議論は、まだ哲学の領域を出ていません。サイエンスにしようと思ったら必ず定量化して、誰でもがわかる値や定義を示す必要があります。それはまだ、ちょっと厳しい」。

【写真】米映画「フランケンシュタイン」ロビーカード
  写真6 1931年のアメリカ映画『フランケンシュタイン』のロビーカード(小型ポスター)。怪物に命を与えようとしている場面。この映画では「パータベーション」として高圧電流が使われている

とりあえず今、着目しているのは細胞の中にあるATPの濃度だ。

大腸菌は比較的、活発に動きまわり、条件がよければ20分に1度という速度で分裂する。しかし、ほとんどの細菌は、もっとのんびりしている。極端な例だが、南極や深海といった低温や貧栄養の環境から見つかる細菌の中には、半年に1回とか、数年に1回しか分裂しないと考えられているものもいる。

このような細菌は観察していても、生きているのか死んでいるのかわからない。

大腸菌にしたところで、もし何時間も分裂せずに、じっとしている個体があったとしても、それが死んでいると決めつけるのは難しい。次の数分間に突然、分裂する可能性もあるのだ。20分に1度というのは、あくまでも平均値である。

ただATPの濃度などを指標にして、判定できる可能性はあるようだ。実際に、その方向での研究は進められている。未発表なので具体的には書けないが、有望な成果が得られつつあるらしい。とはいえ、シャープな線引きは難しそうだ。

「100%生きているとか、死んでいるとか言うのは無理だと思っています」と田端さんは言う。「でも、たとえば30%死んでいるとか、60%死んでいるとか、そういう定義のしかただったら、できなくはないかなと思っています」

つまり往年の人気漫画ヒーローのように「おまえはすでに死んでいる」とは言えない。

「細胞内のATP濃度や、あるいはブラウン運動(流動)の量などから判断していって、いろいろな統計データを積み上げていく。そうすると『これくらいブラウン運動をしているやつらは、確率的に何時間待てば分裂します』みたいなのが出てくる。それをもとにして、生きている死んでいるの分布を描く。すると『おまえは何%死んでいるよ』と言えるようになるかもしれない。明確なラインというよりは、ブロードなボーダーというイメージです」

そして「怪物」との遭遇

このように死を定義することが、もし可能になったとしよう。すると、たとえば90%以上死んだ状態を、事実上の「死」と規定できる。「今日の降雨確率は90%以上」と言われれば、たいていの人は傘を持って外出するだろう。それと同様な判断だ。

そしてハイブリッドセルにATPの合成を妨げる薬などを入れて、90%以上死んだ状態にもっていき、一定時間後にATPを注入して、生き返る(分裂する)かどうかを試す、という実験はできそうだ。若干、歯切れの悪さは残るかもしれないが、それが現実的なフランケンシュタイン実験と言えるだろう。

もし死体が「単なる物質」とみなせるのなら、その実験から生命0.9と1.0のちがいについても、何かが言えるかもしれない(注3)。

注3) 田端さん自身は「生命は0か1かで、半生命はいないのではないか」と言っている。

ところで小説に出てくるフランケンシュタインの怪物は、非常に複雑な人格をもつ魅力的なキャラクターだ。読む人はおそらく、自分の中にある何がしかの特徴を、怪物の中にも見いだすのではないだろうか。その繊細で豊かな感受性、高度な知性、気高さ、そして愛への渇望と孤独、憎悪、狂気、悲哀……それらのいくつかを、たいていの人はもっている。だから物語に引きこまれてしまう。名作たる所以である。

怪物はフランケンシュタインに対して、こんなセリフを吐いている。

もし、おまえが俺を氷の裂け目に突き落として、自らの手でつくったこの体を破壊できたとしても、それを殺人とは言わないんだろう。人間が俺を侮蔑するのに、俺は人間を尊重せねばならんのか? 

たがいに親切にしながら、人間が俺と一緒に暮らすとしよう。そうしたら俺は害をおよぼすどころか、受け入れてくれたことに対する感謝の涙をもって、人間にあらゆる利益を与えることだろう。

だが、それは実現しない。人間の心根こそが、我々の結びつきに対する越えられない障壁になっているからだ。

(訳/藤崎 慎吾)

フランケンシュタインの大腸菌が誕生したとき、我々はそれに対して、どのような気持ちを抱くのだろうか。その細胞の中に、我々自身の何を見いだすだろう。今から楽しみである。

第13回に続く