いきなり!ステーキのランチで人気な「ワイルドステーキ」
# 飲食店

「いきなりステーキ」成功の前に立ちふさがった「5つの危機」

飲食店経営に失敗した漫画家が聞く本音
漫画家にして小説家の折原みとさんは、飲食店経営に手を出して2千万円の痛手を負った過去がある。その詳細は過去の記事に詳しいが、では「飲食店経営」で成功した人は、どうやって失敗と向き合ってきたのだろうか。折原さんがいま話題の「いきなり!ステーキ」を経営する「ペッパーフードサービス」社長・一瀬邦夫社長に「失敗」について直撃した。

飲食店経営で成功するってどういうこと?

本業は漫画家、小説家でありながら、かつて八ヶ岳でドッグカフェを経営し、5年で閉店するという経験を持つ私。今になって振り返ると、その失敗の原因はよくわかる。

立地やコンセプトからなる集客見通しが甘く、採算が合わなかったこと。自分のやりたいこと優先で、お客様のニーズに合っていなかったこと。従業員の雇用の問題。経営者としてのリスク管理や責任の重さに耐えうる覚悟がなかったこと、などなど……。

要するに、ハッキリ言って経営者の器ではなかったという訳だが、ならば、経営者として成功するのはどういう人なのだろうか?

その疑問に答えるべく取材に応じて下さったのは、厚切りステーキチェーン店「いきなり!ステーキ」で大躍進を続けている「ペッパーフードサービス」の一瀬邦夫社長だ。なんと! いきなり凄い人キタ――!!

記録的猛暑の夏が始まろうとしていた6月末日、移転したばかりのピカピカの新社屋に伺った。初めてお会いする一瀬社長は、御年75歳とは思えないほど若々しい! そしてパワフル!!

身振り手振りで熱く語る一瀬邦夫社長 撮影/杉山和行

一代で築き上げた成功

地上31階建て高層ビルの17階、都会の街を見下ろすオフィス。社員数は2018年8月19日の時点で728人、パート、アルバイトを含めたら7千28人。2017年には東証一部上場を果たした大企業だが、一瀬社長は生まれながらに大企業の社長の座を約束されていたわけではない。今日の「いきなり!ステーキ」は、一瀬社長が、58年かけて一から築き上げたものなのだ。

 

昭和17年(1942年)生まれの一瀬邦夫氏は、母ひとり子ひとりの家庭で育った。母を助けるために中学時代から新聞配達や牛乳配達のアルバイトに励み、病弱で寝込むこともあった母のために食事を作ることもあった。自分の料理を喜んでくれる母親の笑顔や感想が楽しみで、それが料理人としての原点となったのかもしれない。

高校卒業後、コックを目指して浅草の洋食屋「キッチン ナポリ」に就職。その後、上野のレストラン「聚楽台」「山王ホテル」と、着実にキャリアを積んで、昭和45年(1970年)に独立。28歳にして、東京向島に座席数12席の小さなレストラン「キッチンくに」をオープンさせた。この店が、現在のペッパーフードサービスの礎だ。

一瀬社長の腕と努力とアイデアと根性で、「キッチンくに」は順調に成長を続け、昭和54年(1979年)には、創業9年で4階建てのビルとなる。

「たくさんのお客様に、美味しいステーキを気軽にたくさん食べてほしい」そんな思いから、「ペッパーランチ」一号店をオープンさせたのは1994年のこと。ファーストフード的にステーキを提供する画期的なレストランの誕生だ。

その「ペッパーランチ」は2018年現在、海外も含めて452店舗まで(2018年7月末時)成長。2013年に、今まで培ったノウハウを生かし、よりステーキに特化した「いきなり!ステーキ」をオープンさせた。そして5年足らずの間に300店舗を超えるまでに。ニューヨークへの進出も果たすなど、飛ぶ鳥を落とす勢いの躍進を続けている。

……とザックリ書くと、一瀬社長の人生も会社の経営も順風満帆でここまで来たように思われるかもしれないが、決してそんなわけじゃない。実は「キッチンくに」を創業してからの58年間で、一瀬社長は何度も会社の倒産にも繋がりかねない大きな危機に直面しているのだ