2018.08.27

亡命者を出さなかった明治維新

日本史の動乱と戦争から見えること
井上 章一 プロフィール

フランス革命では、多くの貴族が国外へ脱出した。王族も、にげのびている。国王のルイ16世じしんが、失敗したけれども、それをこころみた。ロシア革命でも、貴族やブルジョワの国外逃亡者は、おびただしい数にのぼっている。共産党の党内抗争さえ、それをうながした。

逮捕されるルイ16世ら。photo by Getty Images

だが、維新では、こういう振る舞いにおよぶ者を、ほとんど見かけない。賊軍側とみなされた徳川慶喜や松平容保は、ひたすら国内で謹慎した。たとえば、フランスへおもむき、ナポレオン3世にかくまってもらおうとはしない。おそらく、そんな考えは、脳裏をよぎりもしなかったろう。

幕末期には、藩内の政治事情で切腹を余儀なくされた者もおおぜいいた。そして、彼らはたいていその運命を、うけいれている。国外逃亡をくわだてた者は、まずいない。

その意味で、彼らの出処進退は、たいへん鎖国的である。海をこえ、国境をこえていく発想が、まったく見られない。ヨーロッパの動乱では、ありえない処世だと考える。

いわゆる蒙古襲来は、13世紀後半の戦争である。この時、強大な元の軍勢を、九州の武将たちは目のあたりにした。しかし、誰も元側へねがえらない。元軍の水先案内をつとめようとする日本人は、ただの一人もいなかった。みな、日本側をうらぎらず、日本のために戦っている。

英仏の百年戦争は、14世紀から15世紀にかけての戦争である。この時、フランス側では、多くの領主がイギリス王の味方をした。ブルゴーニュ公やギエンヌ公などが。彼らに、この時フランスを守ろうとする国家観はなかったろう。

13世紀を生きた日本の武将には、民族意識が強くそなわっていたのだと思う。日本人という一体感が、普及していたのだと、考えざるをえなくなる。少なくとも、百年後のフランスあたりとくらべれば。

国民国家の成立は画期的だったのか?

ヨーロッパの封建制は、主従関係が国境をこえていた。たとえば、フランスやオランダ、そしてドイツの領主がイギリスの王になる。そういう事態が、しばしばおこっている。オーストリアの王が、スペイン王をかねる事態もありえないわけではない。汎ヨーロッパ的な、国際的と言っていいつながりのなかに、彼らはいる。

そんなヨーロッパの封建制は、近代化以後、国民を主権者とする体制にとってかわられた。国際的な封建制は、国民国家にのりこえられていく。

関連記事