名捕手・古田敦也の現役時代に、捕手で複数回ゴールデングラブ賞を穫っているのは、西山さんだけである

桑田真澄に5季連続甲子園を阻まれた元女房・西山秀二の伝説

甲子園レジェンドインタビュー 第4回
1983年から1985年の3年間、エース桑田真澄を擁するPL学園は夏春5大会連続で甲子園に出場し、優勝2回、準優勝2回、ベスト4進出1回というて輝かしい成績を残した。この間、大阪の高校球児たちは、1984年の選抜に出場した三国ヶ丘を除いて、PLの桑田投手によって甲子園への道を阻まれていたことになる。この不幸な世代となってしまった大阪球児の中には、甲子園通算20勝を挙げた天才投手と浅からぬ因縁を持つ選手がいた。

天才投手との出会いからスタートした野球人生

1990年代の球界NO.1捕手といえば、ヤクルトの古田敦也を挙げる人が多いが、当時取材した野球評論家・江夏豊氏は「投手の能力を引き出すという意味でいちばんいいキャッチャーは、広島の西山秀二捕手だ」と評価していた。

 

この好捕手の野球人生は、一人の投手との出会いを抜きにしては語ることはできない。

「小学校の時ときはソフトボールをやってて、アイツも別のチームでやってました。それが、大阪・八尾の大正中学で一緒になって、俺もピッチャーをやりたかったんやけど、すぐにキャッチャーにさせられました。アイツは入学時点で大阪一でしたからね。当然ですわ」

そのアイツとは、巨人の桑田真澄投手のことだ。

「モノが違うっていうのはあれをいうんでしょうね。準硬式でしたが、投げれば、ほとんどがノーヒットノーラン完全試合でした。球のキレ、コントロール、組み立て……。今と変わらないレベルでしたからね。そりゃ、中学生には打てませんわ」

西山と桑田たちは、野球どころ・大阪の準硬式の大会で2年から無敗のまま卒業し、高校へ進学する。

「桑田と一緒にPLという話もありましたが、スカウト合戦に疲れて、結局、当時は進学校だった上宮を選びました。先輩には、笘篠兄弟(誠治/元・西武、賢治/元・ヤクルト他)や光山さん(英和/元・近鉄、巨人他)がいて、甲子園の可能性もありましたからね」

中学時代は女房役として接した天才投手に、今度はライバルとして挑むことになる。

「1年目、100人いる部員の中で俺らは球拾い。その夏、桑田と清原はもう甲子園のヒーローです。半年でこんなに差がつくんかと思いましたよ」

1986年、南海にドラフト4位で指名され、2年めに広島へ移籍。広島カープの歴史の中でで唯一3割を打った捕手である

そしてここから卒業までの4回の甲子園への道はことごとくPL学園に阻まれる。

「大阪の高校球児は目標がはっきりしてました。PLを倒す。でも、PLと対戦するまでが大変。他も強かったですからね。ただ、『PLを力で倒せるのは上宮だけ』と期待はされてましたね」