あの戦争の呼び名が、いつ「太平洋戦争」になったか知っていますか

実は、意図的な「転換」が行われていた
堀井 憲一郎 プロフィール

戦後も続いた「大東亜戦争」の呼び名

では、太平洋戦争という言葉はいつから使われているのか。

少し当時の新聞を見てみる。

昭和20年の新聞は薄い。1枚きりである。裏表があるだけ。だから縮刷版を読むのも早い。

昭和20年8月15日、戦争が終わった日の紙面は「戦争終結の大詔渙発さる」との大見出しで、本文は「大東亜戦争は遂にその目的を達し得ずして終結するのやむなきにいたつた」と始まっている。終結する戦争は「大東亜戦争」である。

ふと、いまさらながら、なぜ8月15日の正午にラジオで放送された「戦争終結の大詔」が同日付の新聞に全文が載っているのが、不思議におもったが、どうやらラジオ放送のあとにこの新聞が配達されたらしい。記事そのものは放送前に書かれていたようだ。

戦争が終わると、鈴木貫太郎内閣が総辞職し、阿南陸相が自刃し、東久邇宮殿下が組閣の大命を拝している。なんというか、さほど切羽詰まった感じがない。近衛文麿が副総理格として入閣し、国民に期待されている。

近衛文麿(photo by gettyimages)

いまと同じく階段に閣僚が並び、写真が撮られている。近衛文麿は、長身で容貌端正で、目立っている。何だかいろんなところに奇妙な気配が漂っている。誰もまだ状況をうまく把握できてなかったのだろう。
 
そのあとも、戦争名は「大東亜戦争」で記され続ける。政府が定めた正式名称なのだから、誰でもそう呼ぶ。

9月2日に降伏文書に調印し、占領軍が進駐したあとも、ずっと「大東亜戦争」と表記され、それ以外はない。

たとえば9月5日の東久邇首相の施政方針演説では「米英ソ支四国の共同宣言を受諾し、大東亜戦争は」という文言から始まった。

また「支那事変以来、大東亜戦争の終結にいたる間」という言葉が再々使われている。

9月7日にはその8年間の食糧事情について報道があり、また9月22日にはその期間の戦争責任について、社説で触れている。「支那事変以来、大東亜戦争終結にいたる間」(1937年7月から1945年8月)」を特別視していた空気が強くある。

秋の彼岸には、「大東亜戦争中に散華した英霊」について何度か書かれている。
また陸軍の賜金について「支那事変関係」「大東亜戦争関係」と分けて公示され、敗戦後でも支給されると記事がある。支那事変・大東亜戦争という名称が昭和20年9月時点でも公的機関の正式名称だったことがわかる。

 

「太平洋戦争」が生まれた瞬間

その後、アメリカ人記者たちが、日本の要人へのインタビュー記事をいくつか書き、それが新聞に載る。そこでは「大東亜戦争」ではない表記が出てくる。 

まず10月24日付け紙面、宇垣一成大将のインタビューをAP記者が行っている。宇垣一成は「支那事変および大東亜戦争を通じて終始『反戦の態度を崩さなかった要人』」と紹介されている。

質疑と応答が分けられた記事である。記者は「では日米戦争は何が不可避の要素となったのですか」と聞いている。たしかにアメリカ人記者は「大東亜戦争」とは言わないだろう。宇垣大将の言葉ではないが「日米戦争」の文字が記事に出ている。

その3日後、27日紙面に、これもAP通信の記者が永野修身元帥に真珠湾攻撃についてインタビューしている。

そこには、永野元帥の「太平洋戦の根本原因は支那の事態に存した」とのコメントがある。

「太平洋戦」という言葉は、管見の限り(字が細かくてまさに管見なのだが)、これが初出である(朝日新聞にかぎる)。ただ、この記事は質問と回答という形式ではないため、おそらく記者が「太平洋戦の根本原因は何だとお考えですか」と聞き、永野元帥が答えたものを、記者が勝手にくっつけた可能性が高い。

永野元帥が、この時点で「太平洋戦」と言ったというのはにわかには信じがたい。大東亜戦争開戦時の責任者の一人が、敗戦2ヶ月で太平洋戦とは言い換えないだろう、という推察である。

10月31日には、平沼騏一郎元首相へのAP記者(ラツセル・ブラウン氏)のインタビュー記事がある。平沼男爵のコメントは「しかし当時三国同盟が太平洋戦争にまで発展するとは思はなかつた」で締めくくられている。

これまた、すでに八十近かった平沼氏が太平洋戦争という言葉を使ったというのは、やはり考えにくい。インタビュー記事は、発言者の言葉を正確には反映しないものだから、これは記者の言葉だと私は推察する。

実際にこの時期はまだ「大東亜戦争」の言葉がよく出ている。

たとえば10月26日の近衛文麿の栄誉拝辞の記事には「大東亜戦争勃発に至るまでの政治的責任」とあるし、11月7日は、朝日新聞が雄々しく「宣言」を出して、我が社も戦争責任を取るという内容が勇ましく書いてあるが(この勇ましさがすでに胡散臭くて申し訳ないが笑えてくる)、それは「支那事変勃発以来、大東亜戦争終結にいたるまで」と雄々しく始められている。

11月25日の日本教員組合の記事や、11月28日の斎藤隆夫議員の発言でも「支那事変、大東亜戦争」と表記されている。