シンポジウムは大盛況だった

いつの世にも、戦争を喜ぶ民衆はいるんです

驚くべき「民衆の日本史」
いつの世にも、戦争を喜ぶ民衆は存在したのみならず、その連中が戦争への道を導くことさえあったはずだ――。民衆が戦乱をどう生き延びたのかを活写した『戦乱と民衆』(磯田道史+倉本一宏+F.クレインス+呉座勇一著、講談社現代新書、8月21日発売)ができるまでのウラ話を、倉本一宏氏が明かす。

『戦乱と民衆』をめぐる呉座勇一氏の特別エッセイはこちら⇒「一揆はほんとうに「進歩的な勢力」が担っていたのか?」

日文研は梁山泊

京都の洛西(らくさい)、酒吞童子伝説の残る大枝山(おおえやま)(峠に首塚がある)の中腹に、国際日本文化研究センター(通称、「日文研」)という研究所がある。日本研究を海外に発信したり、外国の日本研究者の研究支援をおこなったり、内外の研究者を集めて共同研究をおこなったりする研究所である。

ところがこの日文研、1985年に設立構想が公にされ、翌86年に創設準備室が発足すると、歴史学関係の各学会(「学界」ではなく「学会」である)の非難を浴び、これに反対する運動が沸き起こって、「計画の白紙還元を重ねて要求」する「反対声明」の発表が相次いだ。

この頃の経緯については、「〈鼎談〉「日文研問題」をめぐって」(『日本研究』55、2017年。司会:倉本、パネリスト:宮地正人・仁藤敦史・井上章一)に詳しい。ウェブサイトの日文研オープンアクセスで公開しているので、是非ご覧いただきたい。

要するにこの研究所は、30年くらい前には歴史学会からものすごく嫌われていたのである。私も2008年に突然、この研究所に就職することが決まった時、「こんな所に行っても大丈夫なんやろか」と本気で心配したものである。

倉本一宏氏

まあしかし、1987年の設立から今年で31年、その間に冷戦の終結なんかもあったりして、歴史学会も以前ほど戦闘的ではなくなり、日文研もなんとなく歴史学会から認知されるようになってきた観がある。私も恐れていたような非難を学会から浴びることもなく、先生稼業から解放されて、研究に専念できる環境を楽しんでいた。

そうこうしているうちに、日文研には日本史を研究する教員が大勢在籍していることに気がついた。中世史・近世史や近現代史、文化史や宗教史を研究しておられる方を含めれば、かなりの人数にのぼる。専任教員の他にも、研究員や大学院生も大勢いて、何だかすごいことになっている。

東大の史料編纂所や千葉県佐倉の国立歴史民俗博物館などには、もっとたくさんの日本史研究者が在籍しておられるのであろうが、西日本に限って言えば、研究者の数では一番多いのではないだろうか。

本来、日文研は梁山泊(りょうざんぱく)とか羅漢(らかん)に喩えられてきた。お互いの研究には干渉しないというのが常なのであるが、その一方では、これだけいる日本史研究者がいっぺんにステージに上がったらどうなるか、個人的にはそれを見てみたいという誘惑に駆られつづけてきた。

 

600人以上の大観衆

といったところで、去年の日文研一般公開において、担当の磯田道史さんが、「日本史の戦乱と民衆」というシンポジウムをおこなうことを提案された。

近年では日文研は、「大衆文化の通時的・国際的研究による新しい日本像の創出」を「機関拠点型基幹研究プロジェクト」に掲げているので、それはまさに時宜に適った催しだったのである。

磯田さんが司会をされているテレビ番組には、日文研のほとんどの日本史研究者が出演しているのだが、いわば4人いっぺんに出演して、スペシャル番組を生放送するということになったのである。

当日の2017年10月28日は、600人収容の講堂が満員になったのみならず、サテライト会場でモニターを御覧になる方も大勢おられて、「さすがに磯田さんと呉座(勇一)さんの動員力はすごいなあ」と感心したものである。

内容は想像以上のもので、特に私を除く三人の方は、「戦乱で村を焼かれて逃げ惑う民衆」といったステレオタイプの歴史像ではなく、戦乱の中でもしたたかに、たくましく生きていく民衆像を語られ、学問的にもまことに意義のあるシンポジウムとなった。