スマホのレンズを向ける、この気持ち悪さ、この違和感

新作小説のモチーフにたどり着くまで
本谷 有希子

そんなある日、連れがこう言った。「香港のカジノにひとりでギャンブルしに行きたいから、その代わり、あなたもどこか旅行にでも行ってきたらどうか」。

私にぐちぐち言われるのがよほど嫌らしく、「その間、娘の面倒は自分が見るから」としつこく勧めてくる。

結局、私は古くからの友人を誘い旅行することになった。6月のマレーシアだ。よく考えると、子供が生まれてから家族と離れて泊まりがけで遊んだことなど一度もない。

マレーシアで解放された私は、友人が持ってきた自撮り棒を初めて使ってみたことで、何かのたがが外れたらしく、取り憑かれたようにスマホのシャッターを押しまくった。そして時間をかけて膨大な量の写真を選別し、観光などそっちのけでアルバムに保存した。

それらをどうするというあてもないのに、だ。ただ撮影するという行為にのめり込み、ホテルでも屋台でもスマホ片手に、友人とああだこうだ言い合った。

 

垢が剝がれ落ち始める

しかし同時に、視界が少しずつ開けていく予感があった。意識するまでもなく当たり前になっていた光景が、それまでとは違うものに見え始めていた。スマホのレンズを友人に向けながら、私はぼんやり考えた。

この気持ち悪さ、この違和感を眼差しとして小説に持ち込めるだろうか、と。帰りの飛行機の中、現実より5割、いや7割増しで楽しそうに映っている写真を見返しながら、私は目から垢が剝がれ落ち始める音を聞いた気がした。

帰国後、私は書き始めた。それが『静かに、ねぇ、静かに』という作品集になった。収録された三編ともSNSがモチーフだ。なぜ今、この題材なのだろうと自分でも思う。

もしかすると私と娘はまだ近すぎるのかもしれなかった。離れたものに焦点をあてることで、どうにか動き出せたのだ。

                読書人の雑誌『本』(2018年9月号より)

新作『静かに、ねぇ、静かに』