差別とは何か?「社会の役に立たない人間は無価値」と信じる人たちへ

自分の「差別的部分」を直視できるか
原田 隆之 プロフィール

遠いところで起きた事件ではない

そして、この事件と相似形とも言えるような問題が、社会には絶えることなく起こっている。まさに事件が2年目を迎えたタイミングで起こった杉田水脈議員による「LGBTは生産性がない」という差別発言は、その代表的な例である。

植松被告は、「心失者」は社会にとって大きな負担であり不幸の源であるから、抹殺してよいと主張する。

一方、杉田議員は、『「LGBT」支援の度が過ぎる』と題した文章のなかで、「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」と主張し、このままでは「社会の秩序が崩壊する」と述べる。

また、少し前には元アナウンサーの長谷川豊氏(現「日本維新の会」支部長)は、「自業自得の透析患者を殺せ」という主張をして、大きな問題となった。

本書にインタビュー記事を寄せている和光大学の最首悟名誉教授は、「まず私が問題にしたいのは、植松青年が人間の条件というものを定めるところです」と述べている。

被告は、「心失者」には生きている資格がないと述べ、「人間の条件」に当てはまらないと主張する。

同様に、杉田議員や長谷川氏も、独善的な「条件」を定めて、「生産性のない者」「税金の無駄遣いである者」を差別する。いずれも社会の役に立たない者を切り捨てる優性思想であり、ヘイトスピーチである。

〔PHOTO〕iStock

さらに、やまゆり園事件の際にも、被告を英雄視するようなコメントがネット上には多く寄せられたし、杉田議員を支持する声も本人のツイッターなどにはたくさん寄せられている。

程度の差こそあれ、このような言動はグラデーションをなして連続したものであり、もしかすると、そのどこかに私も、われわれも、つながっているのかもしれない。

このことを自覚しなければ、この事件は「どこか遠いところで起きた自分とは関係のない事件」として風化してしまう。

ここで注意していただきたいのは、私はあたかも「一億総懺悔」のように、責任を広げて薄めてしまおうとしているのではない。

もちろん現実に殺害行為に至った者と、差別発言をした者やそれを支持する者を同列に扱ってはいけない。重大な刑事事件を起こした者の行為は、厳しく罰せられるべきである。また、一般の人々の軽率な発言より、国会議員の発言のほうがはるかに責任が重い。

しかし、植松被告の主張を聞いて、自らを、そして社会を振り返るということは、凄惨な事件を機に社会がどう変わるべきかという問いへのヒントを与えてくれるかもしれない。

 

本書を発行した月刊『創』の篠田博之編集長は、以下のように述べている。

「犯罪とは、何かの意味で社会に対する警告と言える。社会が今どんなふうに病んでいるのか、それを示した犯罪に私たちがどう立ち向かい、どんな対応をするのか。それまでの社会システムをどう改めて、悲惨な犯罪が起こらないように予防していくのか。この事件の投げかけた問題に、果たしてこの社会は応えることができるのだろうか」