太平洋戦線で捕虜となった日本兵を尋問するMIS兵士、ハリー・フクハラさん(右側、眼鏡の人物)

あの戦争でアメリカを勝たせたのは、日系人陸軍情報部員たちだった

大統領は「人間秘密兵器」と呼んだ
442連隊のことはご存知だろうか。第二次大戦中に編成されたアメリカの陸軍部隊で、士官を除くほとんどの隊員は日系二世で構成された。強制収容所から志願した西海岸出身の日系二世とハワイ出身の日系兵士たちは、ヨーロッパ戦線に派遣される。そこで彼らは、全滅寸前だったテキサス大隊の救出、難攻不落といわれたゴシック・ラインのドイツ軍要塞攻略など、目覚ましい戦果を上げ、アメリカ史上最強の陸軍部隊と賞賛されることになる。大戦中最も多くの勲章を得ている部隊なのだが、戦死率も飛び抜けて高く、彼らは、自らの命を懸けて、日系アメリカ人の地位向上を勝ち取ったともいえる。
                                   一方で、同じ日系のアメリカ陸軍兵士でありながら、太平洋戦線で日本軍と戦った者たちもいた。対日戦争の情報戦の主役だった彼らは、終戦時のアメリカ大統領トルーマンが「人間秘密兵器」と称し、GHQのウィロビー少将は、「彼らのおかげでこの戦争を2年早く終結できた」と絶賛している。にもかかわらず、まるで歴史の闇に葬り去られるように、その存在を秘匿されてきたのはなぜなのか。彼らは何を考え、いかにして戦ったのか。          
この日本と戦った日系人兵士を題材にしたドキュメンタリー映画を監督したすずきじゅんいち氏によれば、かれらが背負わされた運命はあまりに複雑なものだったという。

開戦5ヵ月前、日本と戦うために組織された情報部隊

MISと聞いて、すぐに「それは何か」とわかる方は少ないと思う。

MISとは、ミリタリー・インテリジェンス・サービス(米国陸軍情報部)の頭文字をとった略称である。第二次大戦中、アメリカ陸軍において、戦略的戦術的情報の収集と分析を行った部局で、戦時中はもちろん戦後まで、その存在を隠され、所属した兵士たちも、極秘情報を扱っていたので、1980年代まで家族にさえその話題を出すことが禁じられていた。それ故、本国のアメリカでさえほとんど存在を知られていない。

 

ほぼ日系二世のアメリカ人で構成され、太平洋戦争で、情報戦の主役として日本軍と戦い、米国の勝利に大きな貢献をした部隊である。

僕は、2012年に映画監督としてこの日系陸軍情報部を題材とした映画『二つの祖国で 日系陸軍情報部』を作った。大ヒットとはいかなかったが、この手のドキュメンタリー映画としては、都心では銀座で2館、新宿や横浜でも同時上映するという異例な拡大上映をすることができ、日本映画批評家大賞や山路ふみ子文化賞も受賞した。アメリカでは「MIS ~ Human Secret Weapon ~」という題名で、全米各地で公開している。

映画を作ろうと思ったきっかけは、僕が数年前まで丸11年間、ロサンゼルスに住んだことだった。そのとき出会った日系アメリカ人たちについて、自分が何も知らないことに呆然として彼らの歴史を調査し、映画監督として、これは記録として残さねば消えてしまう貴重な事実だと実感し、映画を作ることに決めたのだ。

MISの設立は1942年の3月だが、対日戦を担ったその母体は、1941年の11月にサンフランシスコ湾に面したプレシディオにある陸軍基地内に設置された第4軍情報学校である。真珠湾攻撃により太平洋戦争が始まる5週間も前に、米軍は日本との戦争は不可避だと判断し、密かに、対日本との戦争に備えて、日本語や日本軍のシステムなどを教える学校を設立したのだ。

これを見ても、アメリカという国が、「情報」というものを重視していたかがよくわかる。一方、当時の日本は、英語を敵性言語だとして教えることも禁止するようなことをしている。日米の「情報」に対する考え方の違いがよくわかる事実であり、現在も、この傾向は変わっていないのではないだろうか。

MISからは、約3000人の兵士(その85パーセントが日系アメリカ人)が太平洋戦線に送られ、戦後、占領政策のため、新たに約3000人が日本へ増派された。

MISの兵士たちの戦いぶりは興味深い。彼らはインテリジェンス・サービスなので、銃をとって戦うのは限られた状況のみで、主な任務は、日本軍の通信の傍受や盗聴、捕虜への尋問、捕虜から獲得した資料の翻訳であった。

MISでの通信傍受の訓練

MISという部隊があったと誤解している人がいるが、それは事実ではない。MISという情報戦のための教育機関を卒業すると、それぞれが違う部隊に少人数ずつ、平均すれば数名単位で配属された。戦闘地区もあらゆる部隊に配属されたので太平洋全域に及んでいる。したがって、442連隊のように一つの部隊で生死を共にしたわけではないので、MISの兵士同士の連帯感は薄い。

MISの兵士たちが戦線に送られると、通常、白人のアメリカ兵が護衛という名目でつけられた。それは、日本兵と間違われて味方に撃ち殺されるのを防ぐためであった。しかし同時に、日系人は完全には信用されておらず、日本軍に通じることを恐れた米軍当局が監視のためにつけたともいわれている。

元MIS兵士だったノーマン・キクタさんは言う。

「フィリピンに落下傘で降りたとき、我々には三つの敵がいたんだ。当然日本兵、それとフィリピンの現地兵、そして我々日系兵士を日本兵と間違える可能性があるアメリカ兵。この三つに気を遣わなければならなかったのさ」

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