『PRODUCE 48』で露呈した、日韓アイドルの決定的な違い

同調のみでは突出した才能は生まれない
松谷 創一郎 プロフィール

日韓練習生の意識・立場の違い

16組のグループバトルでは、BLACKPINKやRed Velvetなどの8曲が題材とされた。なかには、AKB48の「ハイテンション」や、TWICEの「Like OHH-AHH -Japanese ver.-」など日本語の曲も含まれている。

このバトルは、結果よりもプロセスが興味深かった。グループを構築していく過程で、日韓の練習生の意識や立場の違いが明確に表れたからだ。

まず各グループは、リーダーとセンターを決める。このときに目立ったのは日本勢の消極的な姿勢だ。多くのグループで日本勢が少数派ということもあり、気後れする者が相次いだのだ。

日韓米中の練習生で構成されたグループになった松井珠理奈も、日本で見せるような積極性を出すことはなく、他の練習生がセンターになるのを見守った。本人にとっては謙虚な態度だったのかもしれないが、このグループバトルではただ存在感が埋没しただけだった。

日本勢のほうが6人中4人と多い「Short Hair」第2組では、今田美奈(HKT48)と松岡菜摘(同)がセンターに立候補した。だが、韓国勢にパフォーマンスのテストを求められると「曲を練習していない」と拒否。

あげくの果てに、話し合いそのものを「やだー、この決め方。ジャンケンとかで良くない?」(松岡菜摘)と笑いながら否定し、田中美久(HKT48)と長谷川玲奈(NGT48)もそれに同調した。

このグループのリーダーである韓国のイ・シアンは、その態度に呆れたような表情を見せながらも、いかにセンターポジションが大切か主張した。結局テストすることになったが、松岡は「じゃ、いい。私はやめるー」と退いた。

今田美奈とイ・シアンのテストでは、他の日本勢3人は今田、韓国勢ひとりがイ・シアンに投票して、結局今田がセンターとなった。この投票について、松岡菜摘は後のインタビューでこう話している。

「シアンがセンターになると、『シアンとほかのひと』みたいに(なるから)」

みずからの意見をしっかりと述べるイ・シアンを、松岡は敬遠したのだ。そこではバトルで勝つ目的よりも、波風の立たないコミュニケーションが優先された。

この一連のやりとりには、日本的なコミュニケーションの悪い部分が凝縮されている。韓国でこの松岡の態度は利己的だと批判されたが、日本人の多くはそれが利己的ですらないことがわかるはずだ。

自分にもメリットのあるグループバトルの結果よりも、「空気」を基準にその場をやり過ごすための「安心」を求めているだけだからだ。議論を感情的な衝突としてしか認識できないのもそのためだ。信頼ベースの社会性が決定的に欠落している。

 

日本の教育がもたらしたもの

その後トレーナーに叱られたこともありチームワークは改善したものの、やはりこの第2組はバトルで負けた。さらに先の話をすれば、ベネフィットを獲得できなかった彼女たちのなかで58人枠に残ったのは、イ・シアンひとりだけだった。

(怪我で降板した田中美久を除き)松岡を含む日本勢3人は、下位から這い上がることなく脱落したのである。まるで「赤信号みんなで渡れば怖くない」というギャグを真顔で実践したようなものだ。

こうした松岡たちの無残な姿を見ると、日本の教育政策にすら考えが及んでしまう。

OECD加盟国の比較では、日本は労働力人口に占める低スキル労働者(読解力や思考能力の低さ)の割合がもっとも低い(吉川徹『日本の分断──切り離される非大卒若者たち』2018年・光文社新書)。これはつまり、落ちこぼれが生まれにくく、全体的には教育レベルが高いことを示唆している。

だが、80年代の中曽根政権下で設置された臨時教育審議会以降に問題視され続けたのは、突出した能力が生まれにくい教育の質にあった。かの「ゆとり教育」も、その主眼は独自の思考や個性的な能力を発揮させるためのものだった。

語弊を恐れずに言えば、詰め込み教育で全体の底上げばかりに気を取られ、エリートが育ちにくい状況が問題化されたのである。

それがどの程度の成果につながるかは、まだ今後しだいであるのだろう。ただ、突出した個性が必要とされる芸能人ですら、周囲との同調のみに終始して目的を見失わせるほど、日本的な「空気」読みコミュニケーションは根が深い。

他者との議論(コミュニケーション)や調整(ファシリテーション)の手法をしっかり教えないまま個性化教育を推し進めた結果、単に自己愛が強くて社会性の乏しい存在が多く育ったのかもしれない。

おおげさかもしれないが、松岡菜摘のあの雑な態度はそうした日本の教育政策について考えさせるほどのインパクトがあった。