50歳の誕生日を迎えた、野茂英雄の想い出を語ろう

これも「おとなの青春旅行」です
津久井 英明 プロフィール

私の隣の席にいたカブスのファンの人に、

「Nomoを応援に来たのかい?」

と話しかけられた。見かけから私が明らかに日本人とわかったのだろう。

「カブスのファンだけど、今日はNomoを応援するんだ」

と答えた。その人はにっこりと笑い「ノー・プロブレム」と言った。きっとニューヨークじゃこうはいかなかっただろうなと思い、ますます観戦する場所をシカゴにしてよかったと思った。

そして彼は旅人となった

試合が進み、その3年後にホームランを66本打つことになるカブスの看板打者サミー・ソーサから三振を獲った瞬間は、感激のあまり声を上げそうになった(まわりにいるカブスファンたちの手前、グッと抑えたが)。

そのとき野茂はアメリカのベースボールファンにとって“旬”だったせいか、カブスファンからは登場のときからほとんどブーイングが起こらなかった。

カブスサイドとなってしまうが、三塁側内野席を取ったのは正解だった。ドジャースサイドの一塁側からだと、彼のトルネード投法では背中ばかりを見ることになってしまうのだ。

席は野茂の豪快なフォームと球の速さがよくわかる距離にあった。サミー・ソーサが空振りしたときのバットスイングの速さといったらなかった。

マウンドで躍動するトルネード。野茂は全米を興奮させた

大リーグでは、チームを転々とする選手のことを「Journeyman」 と呼ぶそうだ。趣のある言葉だが、大リーグの厳しさもしっかりと込められている。野茂も1998年シーズン途中に、ニューヨーク・メッツへの移籍から「Journeyman」となった。

次に野茂を見たのは、2001年6月のミネソタのメトロドームだった。このドームは2009年までミネソタ・ツインズの本拠地で、東京ドームはこの球場をモデルとしたといわれている。ミネソタに出張に行ったとき、偶然ツインズの試合を観るチャンスがあった。

ユニフォームがボストン・レッドソックスのものに変わっていた野茂は、その日は登板しなかったので、投げるところは観られなかったが、試合前に練習している姿をひたすら目で追い続けた。

野茂はこの後、2002年に古巣のドジャースへ復帰している。さらに2004年にドジャースを出た後は、毎年チームの変わる生活が、引退する2008年まで続いた。

野茂は日本のプロ野球選手がメジャーリーグでプレーする道筋をつくった。同時に、私のようなベースボールファンにメジャーリーグ観戦を楽しむ道筋をつくってくれた。

メジャーリーグは、日本人プレイヤーがいなくても十分楽しめる。訪れたアメリカの旅先で、偶然にもゲームが開催されていたらぜひ行ってみよう。

次回の観戦は、チャンスに恵まれればアメリカのほかの都市で観戦してみたい気もする。しかし、ニューヨークやロサンゼルスよりもアメリカらしさが残っているシカゴのリグレー・フィールドが大好きだ。やはりもう一度シカゴで観戦したいとずっと思っている。

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