50歳の誕生日を迎えた、野茂英雄の想い出を語ろう

これも「おとなの青春旅行」です
津久井 英明 プロフィール

ベースボールの故郷にいる興奮

その年、シカゴ・カブスはシーズン半ばにはプレーオフ進出が夢となってしまう状況だった。チケットも当日券で十分間に合った。

チケットを買いに行ったその日は、カブスとサンフランシスコ・ジャイアンツとのデーゲームが行われていた。野茂の登板予定の試合のチケットを入手した後で、すでに回が進んでいたその試合を観戦した。

外野を守っていたのは、あのバリー・ボンズと、NFLとの二刀流をしていたディオン・サンダース。一塁を守っていたのは、後に千葉ロッテに来たマーク・キャリオンだった。

リグレー・フィールドには「野球は青空の下でやるもの」というオーナーの信念で、1914年の開場から1988年までナイター設備はなかった。ナイター設備が完備された現在でもデーゲームが多く組まれている。平日の水曜日のデーゲームでもファンは観に来るのだ。カブスが好きというより、リグレー・フィールドで野球観戦を楽しむことが好きな人がたくさんいるのだろう。

手入れの行き届いた天然芝のフィールドはもちろん、外野のフェンスには蔦が絡まっているのも趣がある。ドーム球場の偽物の芝生(人工芝)の上で行われている、室内競技化した日本のプロ野球を観なれた目には、このボールパークを見ているだけで新鮮であり気持ちが昂った。

リグレー・フィールド(photo by iStock)

ついにパイオニアの登板を目の当たりに

野茂が投げる当日になった。

この日はナイトゲーム。デーゲームだったその前々日のカブス対ジャイアンツ、前日のカブス対ジャイアンツも観ていたので、球場へのアクセスや球場内の様子などにも慣れていた。“風の街”と呼ばれているだけあって、9月のシカゴは肌寒く、場内でスエットシャツを買った。

スタンドに足を踏み入れて目に入ってくるのは、きれいな天然芝のフィールドと蔦の絡まった外野フェンスだ。この瞬間は何度経験しても興奮する。いくつになっても野球小僧に戻ってしまう一瞬かもしれない。

ホームプレートの後ろ以外は防御ネットがなく、フィールドにひょいと降りられるほどフェンスが低い。ファンはスタンドから身を乗り出して、練習の合間の選手からサインを貰っていた。

この旅では3試合を観たが、私もカブスの本拠地にいながら当時のドジャースの主力選手たちからけっこうサインを貰った。読売ジャイアンツの助っ人だったレジー・スミスがドジャースの打撃コーチとしていたので、彼からもサインを貰った。

試合前、そろって練習をするドジャースナイン

腹ごしらえはもちろんホットドッグだ。席に売りに来るものより、場内のフードスタンドで買うことにしている。ケチャップ、マスタード、ピクルスなどをお好みで調節できるからだ。そのほかのボールパークグルメもそこで選べる。

自分の席のまわりの人たちが食べているもので、食指が動くものがあったら、それを試してみるといい。日本ではほとんど飲まないアメリカのあの味の薄いビールも、乾燥した気候のなかでは美味しく感じた。日本ではあり得ないが、野球場なのにビールはガラスの小瓶で売られていた。

プレーヤーたちが試合用のユニフォームでフィールドに現れてくると、間もなくプレイボールである。陽も落ち、ナイトゲームの雰囲気がだんだんとできあがってきた。日本のようにあの鬱陶しい鳴り物の応援はもちろんない。

球場のまわりには球場内を見下ろせる高さのビルが立ち並び、それぞれ屋上には堂々と客席が設けられ「ただ見」をしている人たちがいた。この風景もリグレー・フィールドならではだ。2016年のワールド・シリーズの中継で目にした方もいるだろう。

面白かったのは、そんな人たちも試合開始前の国歌斉唱の時にはしっかりと起立していたことだ。野球の本場そのもの。こんなに素晴らしい雰囲気のなかで、歴史あるドジャースのユニフォームを着て、同じく歴史のあるシカゴ・カブスを相手に投げる野茂は本当に日本の「英雄」に見えた。

勝ち負けはいいから思い切り投げてくれ……と、それだけを願っていた。

国歌斉唱終了と同時に、ホームの白いユニフォームを着たカブスの選手たちがフィールドの緑の上に散った。その美しさといったらなかった。

関連記事

ABJ mark

ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標 (登録番号 第6091713号) です。 ABJマークについて、詳しくはこちらを御覧ください。https://aebs.or.jp/