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50歳の誕生日を迎えた、野茂英雄の想い出を語ろう

これも「おとなの青春旅行」です
プロ野球選手がメジャーリーグでプレーする道筋をつくった野茂英雄は、本日、満50歳を迎えた。トルネード(竜巻)といわれた投球フォームを見にシカゴのリグレー・フィールドに座ったのは何年前だったろうか――『おとなの青春旅行』でイギリス・ロンドン編を書いた津久井英明氏による旅エッセイ。

彼が道を拓く姿を見たい

アメリカのメジャーリーグ。私がフィールドでその姿を追う日本人選手は、松井秀喜以来残念ながらひとりもいない。日本人にメジャーリーグをこれだけ身近なものにさせたのは、間違いなく野茂英雄だ。

1995年、紆余曲折を経て野茂は海を渡った。その独特な投球フォームは「トルネード(竜巻)」と呼ばれた。「NOMOマニア」なる流行語が出るほどの現象が起きた。長い間メジャーリーグを観てきた者にとって、勝ち負けはともあれ、日本人がその試合に出ていることだけで衝撃であり、感動だった。

私がメジャーリーグに興味を持ち始めたのは、いまから30年以上前だ。インターネットの存在は一般的ではなかった。情報収集はスポーツ紙の片隅に載った記事、英字新聞、もしくは洋書店でかなり割高で売られていたアメリカの野球雑誌くらいしかなかった。それでもほぼ毎年、雑誌を買い求めて選手の異動などをチェックしていた。

1995年の2月にキャンプが始まった頃から、野茂に関する報道は日増しに過熱していった。4月にシーズンが始まり、5月に初登板する。メジャー初勝利を上げた6月には、私も現地で野茂を観たくなっていた。

スポーツ紙に載った「野茂登板予定試合」のリストをもとに、職場でメジャーリーグ好きの先輩・後輩とともに観戦計画を立て始めた。野茂は「中4日」の登板をきっちりと守っていたので、計画を立てるのはそれほど困難ではなかった(問題は、観戦を希望する仲間が揃って、その登板日前後に有給休暇が取れるか否かのほうだった。

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シカゴのボールパークへ

ホームグラウンドのドジャー・スタジアム(ロサンゼルス)は、ノモ・ブームの真っ只中なのでチケットはきっと入手困難だろう。パドレス戦(サンディエゴ)、ジャイアンツ戦(サンフランシスコ)を敵地で観るのも、ロサンゼルスから比較的近いためチケットは取りにくそうだった。

それならば東へ飛んでニューヨーク(メッツ戦)へとも考えた。しかしニューヨークも日本人が多いうえに、日本からのアクセスもよく「観光ついでの一見さん」もたくさんいそうなのでパスした。  

さて、どこにするか?

9月中旬にシカゴでのカブス戦が予定されていた。中4日で順調に登板していけば、その連戦に登板することになる。シカゴは1993年に一度訪れたことがあり、リグレー・フィールドは世界一好きなボールパークだ(野球場というよりあえてボールパークといいたい)。ここで観られれば言うことはない。

シカゴ・カブスの本拠地。シカゴのダウンタウンから電車で約20分の距離にある。

8月のある日、私は野茂の登板予定日の2日前にシカゴに入る日程で休暇が取れた。残念ながら先輩は都合がつかず断念。後輩は休暇が取れたが、登板予定日前日にシカゴ入りするという慌しい旅程になった。

野茂は我々が観戦予定の試合間際に右手の爪を割った。登板予定がずれて「野茂観戦」が「シカゴ観光」に変わるかと思われたが、一度登板を飛ばしただけで予定通りシカゴで投げるようだった。

当時の野茂の人気は凄かったが、ロサンゼルス以外では実際にはどのくらいのものだったのか、報道では詳しくはわからなかった。だから、万が一チケットが取れないなんてことにならないよう、登板日の2日前にシカゴ入りし、リグレー・フィールドに直接行き、後から来る後輩の分と合わせて前売りでチケットを買うことにした。

シカゴ到着後、ダウンタウンにあるホテルにチェックインしてすぐに、チケットを買いに直接リグレー・フィールドへタクシーで行った。

ダウンタウンからそれほど離れていない、住宅街といえなくもないなかにリグレー・フィールドはある。20分はかからなかっただろうか。約2年ぶりに訪れたが、何も変わっていなかった。