あなたが必死になる「脳トレ」が無意味かもしれない科学的理由

ラボ・フェイク 第7回
伊与原 新 プロフィール

「脳を鍛える」という幻想

大多数の人たちは、妙なかぶり物などに頼らず脳を活性化したい、と思うだろう。瞑想によって右脳が"開く"という話もあるが、どうも迂遠な感じがする。もっと着実に、自らの(少しの)努力で脳を"鍛える"ことはできないか。

そんな要望に応えるように登場したのが、「脳トレ」だ。単純な計算を繰り返したり、漢字を使った簡単な問題に素早く答えたりすることで、脳機能を高める。そんな触れ込みのゲームソフトやドリルが数多く出回っているので、たいていの方はどこかでその言葉を見聞きしているだろう。

では、このことはご存じだろうか。「脳トレ」の効果については、実は多くの脳研究者が懐疑的なのだ。「脳トレ」批判は各所で展開されているが、要点をまとめると以下のようになる。

ブームの火付け役となった脳研究者、川島隆太氏は、「簡単な計算問題を速く解いているとき、前頭葉をはじめ脳の広い範囲が活性化することがfMRI(機能的磁気共鳴画像法)によって確かめられた」と主張している。「脳トレ」の論拠の一つだ。

だが、この「活性化」とはすなわち、血流量の増加を意味しているに過ぎない。集中して素早く作業しているときにそれが起きるのは、当たり前のことである。前頭葉の血流量を増やしたいだけであれば、それが「脳トレ」の課題である必要はない。

 

そもそも、一時的に脳の血流量が増えたからといって、脳が鍛えられているわけではない。「脳の活性化」は「脳機能の向上」を意味しない。そこに大きな論理の飛躍がある。

脳科学の一般的な知見によれば、簡単な計算問題を解くよりも、複雑な課題に取り組むほうが、前頭葉はより活発に働くはずである。しかも、「脳トレ」を続けて課題に習熟していくと、解答時の脳の活動度は徐々に低下していくと考えられる。そうなればもはや脳は「鍛えられていない」ことになるが、そこをどう説明するのか。

また、「認知症患者に対して半年間『脳トレ』を実施したところ、前頭葉の機能改善が見られた」という報告もなされているが、これにも問題がある。

試験群(「脳トレ」をおこなった被験者)の患者たちには、スタッフがつきそい、やり方を教えたりアドバイスを与えたりしていた。一方、対照群の患者たちは、トレーニングを受けないというだけでなく、スタッフとの交流ももたなかった。すなわち、他人との密なコミュニケーションの有無が、認知症の改善に影響した可能性がある――。

[写真]イベントで「脳トレ」ゲームのに興じるアメリカの高齢者たち。「脳を鍛える」老化防止策は、もはや世界的なムーブメントだ(Photo by GettyImages)イベントで「脳トレ」ゲームのに興じるアメリカの高齢者たち。「脳を鍛える」老化防止策は、もはや世界的なムーブメントだ(Photo by GettyImages)

健康な人間が「脳トレ」を続ければ、確かにそのゲームや課題の成績は上がっていく。だがほとんどの場合、ただそれだけのことなのかもしれない。2010年に『ネイチャー』に発表されたロンドン大学などによる調査結果も、「脳トレ」で身についた力に汎用性がないことを示唆している。

1万人以上を対象としたこの大規模調査によれば、コンピューターを使った「脳トレ」は、ゲームの成績こそ向上させたものの、論理的思考力や短期記憶はほとんど向上させなかったとのことである。

面白いことに、特定の訓練を積めば、それに対応した脳の領域が大きくなるという。認知神経科学者の坂井克之氏が、『脳科学の真実 脳研究者は何を考えているか』の中で、次のような例を挙げている。

数ヵ月間集中的に勉強した学生の脳では、記憶に関わる海馬や頭頂葉の体積が増加している。ジャグリングの訓練を続けていると、動く物体を見るときに活動する脳領域が大きくなる。ロンドンのタクシー運転手の海馬は、職歴が長ければ長いほど大きい。

まさに脳がトレーニングによって筋力アップしたかのように思われるが、坂井氏によれば、こうした物質的な変化をもってしてさえ、「脳が鍛えられた」とは言えないらしい。脳部位の大きさと機能の高さは必ずしも一致しないからだ。

人間は、胎児のときから20年以上をかけ、様々な学習と経験を積み重ねて脳の機能を発達、向上させる。そのプロセスは、「脳トレ」をはじめとするシンプルな方法論には到底落とし込めないほど複雑で多様ということなのだろう。