閲覧注意…鬼畜と呼ばれた凶悪犯罪者が「死刑囚」になるまで

本当にあった封印事件③
長江 俊和 プロフィール

動機の見えない死刑囚

1964年1月2日、弁護士を騙って熊本の教誨師の家を訪問した西口。しかし、その家の11歳の娘が、指名手配の男によく似ていることに気がつき、父親が通報。西口は逮捕され、78日間に及んだ逃亡生活は終わりを告げたのだ。警察庁長官は「警察12万人の目は一人の少女の目にかなわなかった」というコメントを発表している。

西口は、戦後の交通網の発達を利用して、日本全国に逃亡し、犯行を繰り返した。警察庁は各都道府県警の連携が万全ではなく、事件解決が遅れたとして、本事件を機に、「広域重要事件特別捜査要項」を策定。各都道府県警が協力して捜査を行う体制が整えられた。

 

一体なぜ、西口はこのような犯罪を起こしたのか。警察の取り調べでは、「借金の返済と、愛人に気に入られるため」と供述しているが、果たして、そんなことで5人もの人間を、立て続けに殺害することなど出来るのだろうか?『復讐するは我にあり』では、西口の犯行を丹念に追っているが、明確な動機にはたどり着いてはいない。

1925年、西口はカソリック教徒の家で生を受け、彼も5歳で洗礼を受けた。西口の父親は隠れキリシタンの伝統がある五島列島の出身。彼はキリシタンの厳しい戒律を強いる父親に反抗して、非行に走るようなったという。西口の凶行の根源には、彼自身の家庭環境が深く影響している可能性は高い。

『復讐するは我にあり』と言う小説の題名も、西口がクリスチャンであることに関係している。「復讐するは我にあり」とは、以下の新約聖書の一節からの引用されている。

「愛する者よ、自ら復讐するな、ただ神の怒に任せまつれ。録して『主いい給う。復讐するは我にあり、我これを報いん』とあり」(ロマ書12・19)。

その意味は「悪人に報復を与えるのは神だけであり、我々は決して復讐を行ってはいけない」というもの。作者の佐木隆三は、「復讐する我にあり」の言葉通り、西口という一人の犯罪者の足跡を淡々と描いた。彼の行動を肯定も否定もすることなく、「悪の申し子」「史上最高の凶悪犯罪者」と言われた、その犯行の動機さえも、まさに「神のみぞ知る」と言うかのごとく。

西口は5件の殺人や詐欺10件、窃盗2件で起訴。1970年12月11日、福岡拘置所で死刑が執行された。享年は44だった。彼は死刑を求刑された後、法廷でこう語っている。

「死刑の求刑は、当然だと思っております。不平も不満もありません。(中略)ですから最後は、人間らしい気持ちで刑場に上がりたい。どうかその姿を想像して、笑ってください」

私が『出版禁止 死刑囚の歌』を執筆したのは、この西口彰という死刑囚と『復讐するは我にあり』の存在が大きかった。「動機の見えない死刑囚」「復讐は神にだけ許された行為」。この二つのキーワードからインスパイアされて、本作を書き始めた。

 

『出版禁止 死刑囚の歌』は、ある凶悪事件の死刑囚の男を主軸した、ルポルタージュ仕立ての小説である。死刑囚は島秋人や平尾静夫のように、獄中で和歌を詠む。

しかし、それは罪を悔やみ、命の尊さを訴えるものではない。酸鼻極める犯行の状況を赤裸々に描写し、社会に対する怒りや憎悪をむき出しにした「鬼畜の和歌」だったのだ。ついぞ謝罪の言葉はなく、男の刑は執行される。

一体彼はなぜ、おぞましい犯罪を行ったのか? その動機は分からぬまま……。

『出版禁止 死刑囚の歌』は、鬼畜の死刑囚と言われた一人の犯罪者の動機に迫ったものである。このルポルタージュの編纂者は、冒頭でこう述べている。

「『悪魔』という言葉は人類の最大の発明だ。人の悪行を全て悪魔のせいにできるなら、これほど便利な言葉はない」

※参考文献 
『《愛蔵版》遺愛集 いのち愛しむ獄中歌集』島秋人(東京美術)
『復讐するは我にあり(改訂新版)』佐木隆三(文春文庫)