閲覧注意…鬼畜と呼ばれた凶悪犯罪者が「死刑囚」になるまで

本当にあった封印事件③
長江 俊和 プロフィール

西口彰事件

『出版禁止 死刑囚の歌』を書く上で、もう一人、モチーフにした死刑囚がいる。西口彰(あきら)という死刑囚である。殺人を繰り返し、日本中を逃亡した西口。ジャーナリストの佐木隆三はこの事件を取材した小説『復讐するは我にあり』を書き、第74回直木賞を受賞(西口は榎津巌という仮名)。今村昌平監督、緒方拳主演で映画化もされている。

1963年10月18日、福岡県の山道で、何者かに刺殺された専売公社職員に遺体が発見された。同じ日、2kmほど離れた場所で、運送会社の運転手の絞殺体が見つかる。福岡県警は、目撃証言などから、付近に住む前科四犯の元運転手、西口彰(当時37歳)の犯行と断定。全国指名手配する。

事件から6日後、瀬戸内海の連絡船で、西口のものと思われる背広と革靴が発見された。背広のポケットに入っていた遺書には『先立つ不孝をお許しください。この道を選ぶより外はなかったのです』と書かれている。連絡船から投身自殺したと思われた西口。だが、海上から遺体が発見されないことを不審に思った警察は、自殺を偽装と断定する。

 

警察の見立て通り、西口は生きていた。彼は偽名を使い、岡山から神戸、大阪、京都、名古屋へと日本全国を逃走。大学教授を装い、浜松の旅館の女将と親密になり、関係を結んでいた。その後、女将とその母親を絞殺、貴金属や衣類を強奪する。千葉や福島で詐欺や強盗を繰り返し、東京豊島区に住む一人暮らしの弁護士の老人を殺害。弁護士バッジを強奪した。

5人もの人間を殺害し、詐欺や窃盗を繰り返しながら、日本中を逃げ回った西口彰。警察はのべ12万人もの警察官を動員して行方を追うが、逮捕することは出来なかった。だが神出鬼没な西口の犯罪は、意外な形で終止符が打たれることとなる。