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閲覧注意…鬼畜と呼ばれた凶悪犯罪者が「死刑囚」になるまで

本当にあった封印事件③

『出版禁止 死刑囚の歌』という小説を上梓した。私の4年ぶりの長編小説である。一人の死刑囚をテーマにしたルポルタージュ風のフィクションだ。この小説を書く時に、実際の死刑囚について、いろいろと取材した。今回は、『出版禁止 死刑囚の歌』を書く時にモチーフとした死刑囚について語ってみようと思う。

獄中の歌人

死刑を宣告された囚人が短歌と出会い、歌人になった例は少なくない。獄中歌人として有名なのは島秋人(しま・あきと、本名、中村覚〈さとる〉・享年33)であろう。テレビドラマ『3年B組金八先生』(第5シリーズ10話)でも紹介されている。

島は1959年に島根県で殺人を犯し、死刑判決が下された。以来、刑が執行されまでの7年間、彼は獄中で短歌を詠み続けた。島の短歌は高く評価され、1963年には毎日歌壇賞を受賞している。

彼が短歌と出会ったのは、拘置所の中で恩師に手紙を書いたことがきっかけだった。島は子供のころ、授業中に描いた絵を誉められたことがあった。そのことを、ふと思い出したのだ。

彼は家も貧しく、身体も病弱だった。周囲から馬鹿にされて過ごした少年時代。誰にも誉められたことはなかった。でも中学の図工の授業で、島の絵を見た教師は、彼にこう言った。「絵は下手だが、構図はおもしろい」。

それが唯一の、人に誉められた記憶だった。また絵を描いてみたい。そう思い、恩師に感謝の気持ちを手紙に書いて送ったのだ。返事が返ってきたのだが、その中に、児童が書いた絵と、3首の短歌が添えられていた。感銘を受けた島は、短歌の世界に惹かれてゆき、自らも歌を詠むようになっていった。

土ちかき部屋に移され処刑待つひととき温(ぬく)きいのち愛(いと)しむ

死刑執行の前夜に、島が読んだ短歌である。死後、彼の歌集は『遺愛集(いあいしゅう)』と名付けられ、刊行されている。

1960年、宮城刑務所で刑を執行された平尾静夫(享年28)も、獄中歌人として知られる。幼くして生母と別れた平尾は、養母を殺害した罪で死刑を宣告された。拘置所で偶然、短歌雑誌を目にした彼は、自らも歌を書き、迫り来る死刑の恐怖と戦いながら、歌を詠み続けた。

刑場に果てる命を嘆きつつ蟲(むし)になりたし生きたしと思う

自らの罪を悔やみ、生まれ変わって虫になっても生きたいと願った平尾。死刑執行後に刊行された歌集『蟲(むし)になりても』には、彼が詠んだ233首が収録されている。

 

このように死刑囚が歌人となり、高い評価を受けている例は少なくない。一体なぜ、彼らは短歌に魅せられて歌人となるのか。

人間は生まれた時から死ぬ運命にあり、他の動物と違い、誰しもがその事実を知っている。だから人は「死」の恐怖に打ち勝つべく、神に祈り、仏を拝み、芸術や文学に救いを求めるのだ。

獄中歌人が生まれるのも、そのような理由からだろう。死刑を宣告されたものは、誰よりも「死」という存在を自覚し、生きたいと願う。だから命果てるまで、生と死の意味を、極限にまで問い続けるのだ。