夫をすべて許してきた

実はわたしは、さほど怒っていなかった。「やりかねないな」と思い、「だから離婚したのだ」と納得していた。離婚した理由がきちんと証明されたようで、それまで澱のようにたまっていた罪悪感が薄れ、ホッとしたりもした。

一方で、怒りがわかない自分に困惑もしていた。元夫の仕打ちを聞いた何人もが、「それは犯罪だ」と怒った。のんきに悲しんでいるわたしを、歯がゆいと責める人もいた。しかし、わたしはなかなか怒りをもてなかった。姑息な手段で身ぐるみはがれたのだと気づいても、わいてくるのは怒りではなく、悲しみだけ。

「怒り」とはどんなエネルギーなのだろう。何かのきっかけで、地表にあふれ出るマグマのようなものなのか。わたしの奥底に、そのマグマは潜んでいるのか。硬いプレートに守られてなかなかその存在を示さないことが、自分でももどかしかった。

思えば、元夫との長い付き合いのなかで、わたしは怒ったことがほとんどなかった。まだ携帯電話がなかったころ、デートの約束に何時間も遅刻してきた元夫をわたしはニコニコと迎えた。見ているテレビのチャンネルを不意に変えられても気にせず、元夫が選んだ番組をそのまま楽しんだ。そんなわたしを元夫は「やさしいところが好き」「おおらかでいい」とほめた。好かれたことがうれしくて、わたしは「怒らないわたし」で居続けた

新婚時代にされた浮気に、泣きはしても怒らなかった。日記を見られてもメールを読まれても、愛されている証拠だと許してきた。「怒らないわたし」だから愛されるのだと思い、いつも笑顔でいることが結婚生活における正しい努力だと信じていた

舐められたのも無理はない。わたしには何をしてもいいのだと、元夫でなくても思ってしまうだろう。

結局、妻を舐めていただけ

離婚してからも、元夫はわたしをばかにしていた。元夫婦とはいえ他人の実印と通帳を勝手に持ち出すなど、それが事実なら刑事罰にもなり得る行為をしたにもかかわらず、わたしが怒るはずもないと高をくくっていた。もしかしたら、無一文になったあげく仕事も恋愛もうまくいかなくなったわたしが、泣いて戻ってくることを期待していたのかもしれない。

このまま泣き寝入りをしてもいいのか。無一文にされたこと以上に、わたしに愛を語りながら騙した、その仕打ちが酷いと思った。妻の裏切りが許せないなら、そう言えばいい。「財産は渡さない」と宣言し、堂々と慰謝料を請求すればいい。きちんと責任をとらせればいい、大人同士なのだから。つまり、元夫にとってわたしは、対等な相手ではなかったということだ。

海辺の別荘を自分だけの名義にしたのも、わたしを軽んじていたからだ。当時、夫婦関係は悪くなかった。だから、わたしの名義を外したのは悪意からではなく、ただ単にわたしの願いなどどうでもよかったからだ。世事に疎いわたしが登記簿謄本を調べる可能性などないと思ったか、名義が入っていないことに気づいたとしても「ま、いいか」と流してくれると思ったか。

「怒らないわたし」で居続けてはいけない。いまこそ、怒るべきなのだ。掘っても掘っても「怒り」の感情が見当たらないと、甘えている場合ではない。闘って、尊厳を取り戻さなければ。

正しい怒りをもてるようになること、それが結婚生活からの真の卒業だ、と思った。無理矢理にでも怒ることに決め、弁護士事務所の門を叩いたのだ。

わたしの反撃に、元夫は何を思うだろう。