女性の容姿への「残酷な心理実験」の結果が示す社会のひずみ

日本人の脳にせまる⑦
中野 信子 プロフィール

日本社会の大きなひずみ

今年は大相撲の問題に始まり、現在に至るまで次々とスポーツ界をめぐる問題が表面化してきている。これはスポーツ界の問題にとどまらず、日本の社会が個人、特に若者をどう扱い、どう見ているのかが、群発的に浮き彫りになってきているということだろうと思う。

昭和的、などと揶揄されることも多いと思うが、上意下達の組織では上の命令は絶対であり、言葉として明示されない意思を忖度する能力の高さが求められ、そこには「空気を読んで」行動することが良しとされる価値基準が存在する。

こうした能力は学校などの場では、正課教育としては行われず、成績への評価もほぼなされない。しかし、これらを旧来日本の多くの企業、そして日本社会そのものが高く評価してきたという厳然たる事実があるのではないか。

 

歴史のある大手企業ばかりでなく、新興のIT系企業ですら、“体育会系男子の人材”を必要としているフシがある。彼らは非常に“使い勝手”が良い。こうした組織の中では、輪を乱さぬよう自分を適度にアピールし、評価を高めていくスキルは極めて重要なものであり、学歴や本来の職能以上に重視される。

だからこそ、女性医師を目指す受験生は、いかに点数がよくとも排除される。医師ばかりではなく、働く女性も排除されるという構造がある。今もなお、そうした構造は根深く残っているのではないか。

読めないタイミングで結婚し、出産し、育児をする女性は実に“使い勝手”が悪いと評価される。くり返しになるが、東京医大の問題は東京医大だけの問題ではなく、日本社会に存在する大きなひずみが端的に表れただけだと言えるだろう。

「モノ扱い」「歯車扱い」されないために

集団あるいは組織との向き合い方、つき合い方というのは現代の日本においてはいちばん気を遣うところ、注意を要するところである。男はそんな構造の中で生き残ろうと必死に、優秀な駒となって働こうとすればするほど都合よくモノ扱いされ、文字どおり命をすり減らしていく。組織、そして組織の上層部を守るためにかえって社会的生命を早いうちから断たれてしまう人もいる。

ひとりでいることよりも、集団にいることが最もリスクになり得る社会、という、歴史上珍しい社会に私たちは生きているとも言える。

長い人類の歴史において、集団であることは自らを守り、また子孫を残すうえでも必須の生存戦略であった。集団から排除されることは死を意味するような大きな危機になり得た。死とまではいかずとも、子孫を残すことができる確率は大幅に減っただろう。つまり、人類として生を享けたからには、集団の中にいる力としての社会性を持つことが非常に重要ということになる。

駒となる人材を積極的に登用し、教育してきたという歴史が長らくある日本では、女性への見えない圧力が働く。女性があからさまな排除の視線を受け、働きづらいと感じるのも、「仕方ない」と自ら可能性を閉じてしまわざるを得ないのも当然だ。

「国や会社やさまざまな組織を構成する駒のひとつにすぎないのに、子どもを産まないとはなにごとか。とはいえ出産や結婚、個人の理由で、会社の歯車であることを放棄されては困る」などなど。

「よき歯車をつくる」というのがこれまでの日本の社会の教育であった。今もなお、多くの人の思考の中には、まだまだそういう悪しき風潮は“ごく自然な正当なもの“として残っている。

歯車である部分と個人である部分をうまく折り合いをつけながら、それを抱えて生きていくのが人生だ、と割り切るのもひとつの方法ではある。

また最初からもう歯車であることは放棄して、自分は自分というシステムとしてやっていくんだという挑戦的な戦略を取るのもまた一手である。

どう自分の生き方をデザインしていくのか。モノ扱いされないためには何ができるのか。私たちひとりひとりが試される時代に入ってきている。

(了)