北方領土問題も関係なし…日本の対露ビジネス、こんなに拡大していた

まだまだ可能性はある
河東 哲夫 プロフィール

日ソでシベリア・極東大開発をしたこともある過去

話しがだんだん感覚的になってきたので、このあたりでちょっと歴史を振り返っておこう。日本はソ連時代から、この国とけっこう大きなビジネスをしてきた、という話しである。

冷戦の時代、日本は今の中国のように消費財の一大生産国だったので、ソ連の貿易相手国としてほぼ常に最上位数カ国の中に入っていた。

1970年代には、壮大なシベリア・極東開発にも乗り出している。日本は総額数千億円の輸出信用をつけて、サハリン原油・天然ガス、極東の木材、ヤクートの原料炭等の開発、そして輸入に乗り出した。

さらに1970年代半ばには、原油価格の高騰でうるおったソ連のブレジネフ政権は、生産設備の近代化に乗り出す。

製鉄や石油化学、そして消費財生産と、大規模プラントが次々に発注された。それもすべてが国営企業だから、発注するのは国営の産業部門別公団だけ。

日本の商社は当時モスクワで、鉄公団とか石油化学公団とかの幹部を毎晩接待しているだけで、「事務所の単位面積あたり世界で最高」(当時の某商社所長から聞いた話)のビジネスをすることができた。因みに、そのオフィスは大変広かった。

1980年代後半、原油価格の低落でソ連の財政赤字が嵩ずると、これらプラントの支払いは滞って、大変なことになったし、1991年12月のソ連崩壊で「公団」制度も崩壊した。

外国企業は広いロシアの方々に散らばる工場を訪れて、直談判をせざるを得ない状況となったのだが、プーチンが手綱を締め直したおかげで、このあたりは整理がついてきている。

地方の中には、外国資本誘致に熱意と誠意を示し、優遇条件や担当者を揃えているところも出てきた。それが、地方に工場を建設する場合、一番肝心なことなのである。

 

混乱からブームへ

ソ連崩壊と計画経済の廃止は、6000%のハイパー・インフレ、治安の悪化等、大混乱を生んだ。飢え死にする者はいなかったが、コネ社会のロシアでは、それまでの「コネが失脚」してしまったことが一番こたえたらしい。どこの誰にものを頼んだらいいのか、わからなくなったのだ。しかしこれは他面、猥雑な活気ももたらした。

西側の消費財が一気に流入。日本からもソニー、パナソニック、キャノン、そして自動車各社といった製造業が続々と進出し(但し当初は販売だけ)、夜のモスクワは「共産党万歳」に代わって、これら日本企業のネオンサインのオンパレードとなった。当時地方に出張すると、「自分は日本の何々社のディーラーです」と挨拶してくるロシア人が方々にいた。

1990年代後半、日本家電製品ブームは、日本でのバブル崩壊で低調となり、日本企業のネオンはサムソンやLG、そして現代自動車に取って代わられた。

だがそれとは裏腹に、日本食・日本文化のブームがやってくる。自由に外国旅行できるようになったロシア人達は、欧米で日本食がヘルシーでクールなものとして流行っているのを目撃し、それを自国に輸入したのだ。

もともと日本文化は質が高く深遠なものと思われていたこともあり、ロシアは、大変な寿司ブームとなった。エリツィン大統領と橋本龍太郎首相が、「ボリス」、「リュー」と呼び合いつつ北方領土問題の解決に乗り出したことも、日本ブームを後押しした。

インフォーマルな会合は「ネクタイなしで」というのは、今ではロシア語の決まり文句になっているが、これは橋本総理が日本のクールビズを持ち込んだのがきっかけだ。

そして、プーチン大統領の要請と森喜朗総理の口添えでトヨタが工場建設を決めたことが、前出のロシア投資ブームを生んだのである。

クリミア併合後の制裁とロシア経済の低迷ですっかり低調となったが、実は今は休息時期であるに過ぎない。ロシア経済はプラスの成長を回復したし、プーチン政権は経済の近代化に政策の最重点を置いている。