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「むき出しの支配に満ちたママ友の世界」が子どもの心に落とす影

世代間連鎖を防ぐ子育て論〈12〉

「ママ友」という言葉のはじまり

ママ友という言葉が一気に広がったのは、1999年のいわゆる「音羽女児殺害事件」以来のことではないでしょうか。

逮捕された女性が「同じ幼稚園に子どもを通わせる母親どうしの軋轢が背後にあった」と述べたことから、一気にママ友という言葉がメディアをとおして使用されるようになりました。

それ以来、育児期の母親にとってママ友との付き合い方が困難であるという先入観も生まれ、子どもを入園させた女性たちが神経をすり減らすことにもつながっています。

幼稚園に比べて保育園ではそれほど大きな問題にならないのは、たぶん送迎する前後に親どうしがそれほど交流を深めることがないからでしょう。何しろ時間がないので、ママ友どうしでおしゃべりといっても限定された時間だけになります。

女性の活躍という言葉が、政府主導で華々しく喧伝されるこのごろですが、特に大都市周辺では、子どもが小さいうちは、仕事に就かなかったり、時間調整が容易な働き方をしたりしている女性が多いことがよくわかります。

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地方都市では、保育園が一般的だったり、祖父母が送迎したりすることも多いため、ママ友問題はそれほど多くないのではないでしょうか。

しかし小学校になると、子どものいじめなどと連動する事態も起きるようです。近年はLINEなどのSNSで親どうしの交流も密になり、2015年栃木県で起きた事件は、子どものいじめに関連したLINE上での母親どうしの関係から2人の女性が自殺するという事態を生みました。

しかもそれを町全体で隠蔽しようとしたことで、却ってその異様さが際立つ結果となっています。

ママ友問題は、都市部にある幼稚園(ときには小学校)に子どもを通わせている、専業主婦的状況の母親の関係に限定されていると考えられがちですが、コミュニティによる縛りが強い地域では、ママ友どうしの軋轢が地域の抑圧的状況と連動して、問題をさらに深刻化させるという例も多いのではないでしょうか。

 

「ボスママ」を頂点に序列化された世界

かなり前ですが、私の経験を思い出してみます。1980年代、東京近郊の街に住んでいましたが、息子の通う小学校の父母会に参加して驚いたことがあります。

何とも言えない空気感と、ボス的存在の親の態度です。行事をどうするかを中心とした議題だったのですが、ひとりの親が場を仕切るのです。

その追従者である親たちが彼女を盛り立て、残りはそれに従うという雰囲気でした。まるで政党の集会のように序列化された世界にびっくりしてしまったのです。

それから10年近く経って娘の高校の父母会に参加したのですが、ここでも驚かされました。

学園祭の準備も含めて数度集まりがあったのですが、かなり自由な校風が売り物の学校だったにもかかわらず、行事の打ち合わせの席では、一人の親が仕切っているのでした。

顔役という言葉がぴったりの彼女は、学園祭の役割分担の決定に際して、話し合いをするどころか、立ち上がって「ハイ、ハイ!」と手を叩きながら出席している親たちを自分の思い通りに動かすのです。

その様子は、まるで羊の群れを牧場の小屋の中に追い込むような態度に見えました。