辞任表明・山根会長の「剛腕と功罪」~プロボクシング界重鎮が明かす

プロ・アマの垣根はなくなるか
岩崎 大輔 プロフィール

プロアマ断絶の理由

村田諒太、井上尚哉、井岡一翔など、アマチュアで実績を残し、その後、プロ転向して世界王者になった例はいくつもある。しかし、プロとアマは長い断絶状態にある。

プロのジムの統括団体は、「日本プロボクシング協会」。山根会長を頂とするアマチュア団体「日本ボクシング連盟」とはまったくの別物で、実際プロとアマチュアの間には高く厚い壁がある。

 

一例をあげれば、元プロボクサーがアマチュアの指導者の資格を取得するのは容易ではないことだ。2011年8月、元プロで俳優の赤井英和氏がアマチュア指導資格の第1号となり、近畿大学の総監督就任し、話題となったが、実は、指導者になれたのはこの例のみ。

ある元世界王者は、同じように大学でアマチュアボクシングの指導に携わろうとしたが、指導教員として学校で認められたものの、「アマに対する大きな貢献」が認められなかったため、アマチュア指導資格をもらえなかったという。つまり、学校内では指導できるが、試合会場ではセコンドにもつけない。観客席から声をあげたり、会場の外でミット打ちをおこなっている。

この「プロアマ断絶」の端緒となったのも、協栄ジムが関係している。

時は1973年、「モントリオール五輪のメダルを狙える逸材」と言われた具志堅用高氏を、金平正紀氏が無理矢理プロデビューさせたところにさかのぼる。この年、拓殖大学で推薦入試を受けるため、具志堅氏は故郷の石垣島を離れ、初めて上京した。

羽田空港では、当然拓大の関係者が待っていると思っていた具志堅氏。ところが、待ち構えていたのは協栄ジムのマネージャーだった。大学に入学し、アマチュアボクシングの道を歩むはずが、口車に乗せられ、具志堅氏は協栄ジムへ。ジムにはすでに報道陣が待ち構え「本日、プロを目指すことになった具志堅君です」と紹介され、翌日の新聞に<海老原2世プロ入りへ>と掲載されたのだ。