辞任表明・山根会長の「剛腕と功罪」~プロボクシング界重鎮が明かす

プロ・アマの垣根はなくなるか

驚きの手腕

「山根会長には並大抵のレベルではない政治手腕があったのでしょう。それは、あまり付き合いのない私にも分かりました。たとえば2012年のロンドン五輪バンタム級2回戦で、清水聡選手が1度は判定負けとされたとき、これに即座に抗議し、清水選手の勝ちと結果を覆した。これがなければ、清水選手の銅メダル獲得もなかった。

もちろん、実際に山根会長の力によって結果が覆ったのかどうかは分かりません。しかし、周りの関係者には『山根会長のおかげだ』と映るでしょう。世間では着目されませんが、その場で判定を覆したり、どちらともとれる試合内容のときに、有利な結果を勝ち取った『手腕』は山根会長ならではのもの、といえるのではないでしょうか」

そう語るのは、協栄ジム会長の金平桂一郎氏だ。協栄ジムは1976年の設立以来、日本最多の世界王者12名を輩出。父であり、初代会長の正紀氏が8名、桂一郎氏も4名の世界王者を育成した。

 

「チャンピオンメーカー」とも言える金平氏に、今回の「山根騒動」について尋ねたところ、進退については「山根会長は即刻、辞任すべきだ」と切り捨てながらも、「複雑奇怪なアマチュアボクシング界が、彼のような人物を必要としていたのも事実なのだろう」という。

金平会長

「ボクシング選手、指導者として実績がなかった山根会長が、国際ボクシング協会(AIBA)のアジア圏のリーダーの地位を築いたことは、やはり注目すべきでしょう。一朝一夕でできるものではない。私の父も世界のボクシング業界に食い込むために、大変苦労していましたから。

様々なスキャンダルを抱えた親父でしたが、ジム開設から4年で海老原博幸さん、その5年後に西城正三さんを王者にした。

当時、団体はWBA(World Boxing Association)のみで、親父はWBA総会が海外で開かれるたびに渡航費を工面し、駆けつけた。あちらから寄付金の要請があれば支払った。当時大物プロモーターだったジョージ・パナサス氏と気脈を通じることで、興行主としてのノウハウも蓄積した。

アマチュアの会長職もそれと一緒か、といえばそうではないでしょうが、しかし、プロでもアマでも、プロモーターや支部の会長らが陰で汗をかき、金を使うことで、選手に国際社会の大舞台でチャンスを与えられる環境を整備できる。もちろん、選手や関係者に迷惑や被害を与えるようなことはあってはならないと思うが、そういう時代があったことは事実です」