地方への移住者が苦悶する「ゴミが出せない」という大問題

地方創生の鍵となるはずだが…
佐々木 俊尚 プロフィール

「タダ乗り」の定義

ただこのような多拠点居住を実行しようとすると、往々にして「フリーライダー(ただ乗り)」問題にぶつかってしまう。

東洋経済オンラインに7月、『恐怖の実話!悪夢と化した「夢の田舎暮らし」』という記事が掲載された。タイトルはちょっと煽り気味だが、山梨県の八ヶ岳山麓に移住した一家が、ゴミ出しを拒否されたという話だ。ゴミ集積所は「組(集落)のもんだから、組に入っておらんもんはあそこには出せん」と地元の人に言われ、さらにその組にはよそ者は入れてもらえないのだという。この家族のケースは住民票を移しているようなので、さらに深刻だ。

https://twitter.com/sasakitoshinao/status/1015733200579190784

そしてこの記事について私が上記のようなツイートをしたところ、「住民票も移してないくせにモンスタークレーマーだ」「フリーライダーだ」「地域の草むしりとかゴミ拾いとか道路の整備とか、いろんな共同作業もしていないくせに」という批判をたくさんいただいた。中には「福井から出て行け」というニュアンスの、罵声に近い言葉を投げてきた人もいる。

とは言え、こうした批判は理解もできる。なぜなら地方の伝統共同体は自治体という「公」と個人の「私」のあいだに存在し、地方生活を実質上動かしている中心的な「共」となっているからだ。当然、この「共」を支えているのは構成メンバーであり、「共」の恩恵が得られるのも構成メンバーということになる。そこに入ってきて、「共」の恩恵だけを得ようというよそ者が入れば、フリーライダーに映るのはうなずける

 

「身内」か「よそ者」の二択しかないのか

しかし、こうした地方の伝統的な共同体は消滅の危機にある。高齢化が進み、祭りなどの行事を維持するのも難しくなり、空き家ばかりがやたらと目立つ。私が住んでいる美浜の家の近くには早瀬というとても美しい漁村があり、早瀬浦という銘酒の酒蔵もあるが、立ち並ぶ瓦屋根の日本家屋の半分近くはすでに空き家になってしまっている。崩壊して土に還りつつある建物もある。

そういう状況では、「共同体にどっぷり入る身内か、それとも入らないよそ者か」という従来の区分けがそもそも難しくなってきている。移住したい都市の若者は増えているが、少子高齢化と人口減で数少なくなっている若者が、すべての地域に来てくれるわけではない。これからは生き残る地域が輝いていく一方で、死に絶えて人が消滅する地域も増えてくるだろう。そういう中で、どのようにして地域を維持していくのか。移住という「100%どっぷり」を若者に期待するだけではもはや無理がある。

「関係人口」という単語がある。どっぷりの移住者ではないが、観光客という一過性の客でもない。常宿があったり親戚がいたりして、時おりやってきてくれる人。ふるさと納税してくれている人。その土地を気に入って、何かと気にかけてくれている人。そういう長い持続的な関係を持ってくれる人が「関係人口」だ。地方自治体では、待っててもなかなか来ない移住者の増加を目標値にするのではなく、関係人口の増加をリアルな目標値にしようという動きも出てきている。

関係人口の中でも、特に強く関係しようとするのが、まさに多拠点生活だ。私は美浜町に住民票は移していないが、家を借り、月に一週間はこの土地に滞在し、地元の友人たちと交流し、仕事もしている。そういう関係がこれからたくさんの人によって実行され、数が増えていけば、その先に新たな地方の「共」が生まれてくるのではないかと期待している。その実践と未来の可能性を探るためにも、私は足しげく美浜町にやってきている。

ゴミ出し問題というのは、そういう新たな関係性についてのとても小さな、でも結構重要な試金石なのではないかと私は考えている。

もちろん「そんなものはしょせんフリーライダーだ。出て行け」という人もいる。それは仕方ない。地域の将来は、地域の人が決めることだ。都市からやってきた人間が勝手に地域の未来を決めつけ、関係人口を増やせ、などと言うのは傲慢だ。

だから地方に向かう都市住民の側としては、そういう新たな関係を受け入れてくれる地域を慎重に見極めて、事前の下調べやコミュニケーションをていねいに重ねておくことが大切だ。その意味でも、地域への最初の入り口として、土地に片足を置く多拠点居住はお勧めできると思うのである。