なぜ日本人は代表チームを「サムライ」と呼びたがるのか

あなたを駆動する「物語」について11
赤坂 真理 プロフィール

「サムライ」と「テンノウ」のはざま

この戦いは、案の定賛否両論だった。決勝リーグには行けた。しかしこれは「サムライ」にふさわしくないという言い方があった。そうだろうか? 時間稼ぎも立派な兵法。「サムライ」ならば、そういうことをしたと思う。そのうえ大きな目的のある戦略的時間稼ぎだった。

ある時点で、「サムライ」のイメージが変わったのだ、と思う。

現代日本人のサムライのイメージとは一体、なにか?

潔いこと。

美しく戦って、散るときは美しく。

この「サムライ」のイメージをいちばん色濃く持つ批判コメントは、面白いことに、「宿敵」チームからのものだった。

元韓国代表のスター選手、アン・ジョンファン。「韓国は潔く敗退したが、日本は醜く決勝リーグに行った」。

アン氏はこうも言っている。

「1分攻撃しなければペナルティが課せられるルールがあるべきだ」

今後、ロビー活動によって、こういうルールができる可能性は、ある。スポーツなどには、見えないところでも政治や金やパワーが動く。が、現時点で、そのルールは、ない。どんなに批判されようがブーイングを受けようが、そのルールはサッカーにはないのだから(柔道にはある)、ペナルティはない。

西野監督は、法を知り抜いてそれを使った。あとは実行する胆力が必要だっただけだ。

 

しかし、不思議に思うのだが、なんだってスポーツのナショナルチームに、日本人は本能的に「サムライ」とつけてしまうのだろう? サッカーチームは「サムライブルー」であり、野球のナショナルチームなら「サムライジャパン」である。

これは本能的チョイスとしか思えない。そして、集合意識の中から現れて人が本能的につけるあだ名のみが、定着する。

サムライは、外国人たちが日本に対して持つイメージでもある。

おかしなことに、内外で、日本のうつくしいイメージとして挙げられるものの多くは、今の日本には、ないか、一般的ではない。「お前の国の人は今でもちょんまげを結っているのだろう」と外国人に言われたら「それは勘違いだよ」と日本人は反論すると思う。が、いざというとき自らもそのイメージを対外的に打ち出すのである。

「サムライ」という冠は、これは本能的な思考停止かもしれないとおもうことがある。

なぜなら、現在進行形の日本人というものを、イメージさせるだけの他の特徴を、日本人は自分で言えないのである。 

だいたい、現在進行形で存在し、日本を象徴するのであれば、「テンノウ」「エンペラー」のほうが本質的である。なにせ、日本国憲法の第一条、に憲法の第一番に、記されているのが天皇なのだから。

しかし「天皇」と「侍」は、当の日本人によって面白い使い分けられ方をしている。

侍を外向きに使い、天皇を内向きに使う。

ということである。

このことを日本人の多くも意識していない。

サッカー日本代表は、端的に面白い。

ニックネームは「サムライブルー」だが、エンブレムは「八咫烏(やたがらす)」である。神武天皇を導いたとされる伝説の鳥だよ?

もちろん、こういうすべては、考えてのチョイスではないと思う。

しかし、無意識的な選択ほど、強いものはないのだ。

そして無意識を意識にあげてみない限り、その利点は十分に得られず、弊害は断ち切れない。