真実こそ疑え…18万部ベストセラー作家が「誤報」に挑むワケ

『歪んだ波紋』が投げかけるもの
石戸 諭 プロフィール

多くの訂正から学んだこと

それはなぜか。本作のテーマをより深めるために、まず2つの事実を押さえておきたい。

第一に、塩田は「傍流記者」であること。第二に塩田を紹介するときに必ずでてくる「新聞記者出身らしい取材力」という評価は的確なのか――である。

塩田は神戸新聞で、主に文化部でキャリアを積んだ記者だ。本作の重要な舞台となっているのは関西地方だ。

大阪を中心にした関西には独特のジャーナリズム観が今も根強く残っている。私も毎日新聞大阪社会部で経験した、事件報道至上主義だ。

東京のように政治・経済の拠点がなく、塩田もこだわったグリコ・森永事件など歴史に残る大事件の舞台になった関西では事件こそがニュースの主役で、全国的にも大きく報じられてきた。

本流は事件記者で、とにかく多くの事件取材をこなしてこそ一人前とみなされる。こうした考えはともすると安易な特ダネ競争に陥りやすい。

一方で、一応フェアに評価するとこうした考えも悪いことばかりではない。事件には社会が投影されているというのも関西ジャーナリズムの重要なテーマで、事件報道から派生して、その裏側にある社会的背景、人間模様を描くことも大事にされてきた歴史がある。

 

前作『罪の声』では、主人公の文化部記者が、社会部のエース記者から事件担当デスクになった男にこんなことを言われる場面がある。

「ドラマの取材やって?」
(中略)
「記者室でDVDを見るだけですけど」
「それで原稿になるん?」
「まぁ……」
「へぇー。ええ仕事やなぁ。ほんで今日の取材はそれだけ?」

「えぇ仕事」はもちろん嫌味でしかない。私も大阪社会部にいたからよくわかる。事件担当ではない非主流派だったので「高校野球取材か。楽でええなぁ」と同じような口調で言われたことを思い出す。

社会部の事件担当で朝方に警察官の家を取材する朝駆けから始まり、深夜の夜回り、降版ギリギリまで取材を続ける事件担からすれば、ドラマを見て批評したり、将棋の勝敗を追いかける文化部の仕事は緊張感がない「ぬるい仕事」に見える。

当然ながら文化部とて(社会部の事件担当以外も!)楽な仕事ではない。

「そうなんですよ。関西の主流は事件やし、たまに社会部の手伝いで宿直勤務していたんですけど、ほんま嫌でしたね。嫌味は言われるし、なんか失敗しようものなら『これだから文化部は……』ってなるでしょ」

「わ、わかる」とここでも激しく同意してしまう。悲しいかな。傍流、非主流派の記者は本流以上に失敗を厳しくチェックされる。本流の人が失敗しても何も言われないが、傍流は言われてしまうのだ。私たちも今でこそお互いに笑えるエピソードだが、当時は辛かった。

「あっ毎日でも同じかぁ。そりゃあ大阪やったらそうなりますよね」

『歪んだ波紋』著者の塩田武士

でも、嫌味の一つや二つ言われてもしかたないかという思いも塩田にはある。それは塩田自身が今回のテーマと密接に絡む「誤報」を出しているからだ。

「最初は尼崎市勤務だったときですよね。ある事件で小学校の名前を間違えてしまったんです。その学校の職員に関わる不祥事だったのですが、職員名は匿名で報じました。ところが、学校の名前が間違っている。新聞を読んだ読者は、あの人が……ってなりますよね。急いで謝罪にいきました」

大事には至らなかったとはいえ、誤報は誤報である。私も何度か書いたからわかるが、新聞記者にとって「訂正記事」は最大の不名誉だ。判明すれば、始末書からはじまって方々への謝罪で1日が終わる。そして訂正が多すぎる記者は希望通りの部署にはいけなくなる。

「僕は結構、訂正が多かったと思います。でも、言い訳じゃないけど、そこで新聞が報道する意味とは何かとか、誤報が人を傷つけることを学ぶんです」

新聞、特に関西にとって取材力がある記者というのは、正確な情報を取ってきて、華々しい事件ものの特ダネで紙面を飾る記者のことを言う。その意味では「訂正王」を自認する塩田は——もちろん、私も——取材力がある、とは言えないタイプだ。