日本で100年以上前から横行していた「入試不正」驚愕の実態

150名中100名が不正のケースも…
岡本 亮輔 プロフィール

東大入試の答案が盗まれた

20世紀に入ると目立つようになるのは、問題漏洩や点数書き換えといった不正だ。替え玉と比べると、不正が不可視化してきたといえる。

1932年、文部省は、東京都下の私立の医専と薬専学校に対し、不正入学者の有無を明らかにする一斉調査を行なった。この年に行われたすべての答案を精査し、受験者の中学校時の成績と照合したのだ。

その結果、多いところでは30件の不正が発見された。主な手法は問題漏洩、点数書き換え、答案改竄である。背後には金銭授受もあり、学校や校友会に対して寄付金や後援会費としてかなりの額が渡されていた。

現在とほとんど同じ手法と構図だが、この時には、優秀な答案を書いたのに落ちた受験生が憤慨するのは当然として、寄付金を支払ったのに落ちた受験生も文部省にクレームをいれている。

結局、調査対象は東京都下15校の医薬系学校に及んだが、不正のない学校は1つもなかった。

 

後日、当時の文部大臣・鳩山一郎がコメントを出している。当初はせいぜい1校につき10名程度の不正入学者と見積もっていたが、ひどいところでは入学定員150名のうち100名が不正入学であった。

だが、当時は金銭授受による不正入学を取り締まる法律が存在しなかった。そのため、鳩山大臣も一連の事件を「インチキ」と称し、道徳的に許されないこととして批判するしかなかったのである。

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戦後になっても入試不正は続く。その中でもインパクトが大きかったのは東大文学部の事件だろう。

1948年11月、文学部の鍵のかかった地下倉庫から入試答案が盗まれた。その年の3月に行われたもので、280人の答案が消えていた。警察の捜査で犯人はすぐに捕まる。文学部の事務職員であった。だが、その自供から入試不正が明らかになる。

逮捕された職員によれば、自分とは異なる派閥に属し対立していた別の職員に、受験者の父兄から金品を受け取り、見返りに不正入学させているという噂があり、それが事実か確かめるために、正義感から答案を盗み出したというのだ。

実際に答案を調べてみると、ある受験生に対して50点以上の不正加点がされていた。採点は教員が行うが、点数計算は事務職員が行うというシステムを悪用したのだ。

不正加点を疑われた職員は容疑を否定し、告発した職員が公文書の持ち出しで解雇になったが、東大での事件であったがゆえにそのインパクトは大きかった。