# ペット

ドイツとギリシャが教える「ペット殺処分がなくならない日本」の異常

日本にはその「仕組み」がない
有馬 めぐむ プロフィール

東京五輪を前に、日本人が考えるべきこと

もちろん、日本でも動物保護の機運は一部で高まって来ている面もある。

動物保護に対する基本的な法規制がなされないなかでも、日本では、多くの動物愛護団体の人々が保護犬や保護猫の施設を運営し、日々レベルの高い保護活動を展開している。

日本の大学のキャンパス内で暮らす猫を地域猫として管理、世話をする「大学猫」の保護活動

どこの団体にも所属しない個人ボランティアの地道な活動も忘れてはならない。多くの著名人が呼びかけ人として名を連ねる「TOKYO ZEROキャンペーン」のように社会にインパクトを与えるものも多い。日本の動物愛護運動に関わる人々は、アニマルウェルフェアの知識も深く、法規制の必要性を世間にアピールしている。それなのに、8週齢規制などは 毎回頓挫する形に終わっているのは、なぜなのだろうか。

 

私なりにその理由を考えると、日本では、犬猫を飼っている動物好きな多くの“普通”の日本国民を巻き込む形で殺処分ゼロ運動が展開されていないように感じる。私が日本で取材した動物愛護団体のなかには、驚くことに、「菜食主義ではないと動物保護活動をする資格がない」という考えの人もいた。しかしそんな考え方では、大多数の動物好きな国民を動物保護運動から遠ざけてしまうだけだ。

ギリシャで取材をした動物保護団体には、徹底した菜食主義者もいたし、肉食はするが、犬猫の殺処分や不必要な動物実験には反対だというように、様々な意見の人々がいた。それは当然のことである。たまに激しい議論を交わしつつ、どこまでを許容するかという線引きは異なっても、わだかまりを持たずに一緒に活動している。

また、アテネ市の場合は、市役所の動物保護課が民間の動物保護団体、獣医師会などと協力して、反対派市民に根気強く説得を行っていた。財政危機のさなかでも、官民一体の協力体制が殺処分ゼロを支えている。時には行政がリーダーシップを発揮したり、民間の動きに呼応することも大切なのだ。

日本の行政の動物愛護センターや民間の動物愛護団体の活動がどんなに意義のある活動をしていても、バラバラに活動を続けていては、広く日本国民の理解と共感を得て大きなムーブメントにしていくことは難しい。法改正を実現するほどの社会変革を成し遂げるには、動物保護活動が官民一体の協調的な運動にまとまっていくことが必要不可欠だと感じる。行政や経済界も、命に関わる問題については、国際感覚を持ち、経済性優先の感覚から脱却していく必要がある。

もちろん、私は単純に「ドイツに学べ、ギリシャを見習え」と唱えているのではない。ドイツやギリシャにも負の側面はあり、本書ではそれらについても記している。外国の良い例だけ引っ張ってきて紹介し、それと比較して日本の状況を批判するのは公平ではなく、犬猫殺処分ゼロを目指していく上で、本当に役立つアイディアが生まれて来るとは思えない。いかにして外国から良いヒントを得て、日本の現状に合った法制度を構築していくのか。2020年の東京オリンピック・パラリンピックを前にして、そろそろ日本人も真剣にそのことに向き合うべきだと思うのである。