被爆直後の長崎上空を飛んだ日本のパイロットは何を見たか

なぜ精鋭部隊はみすみす投下を許したか
神立 尚紀 プロフィール

燃料不足と機材の消耗から9日は飛行止めだった

昭和20(1945)年8月9日午前11時2分、米陸軍の爆撃機、ボーイングB-29が投下した一発の原子爆弾によって長崎市街は壊滅、焦土と化した。この原爆による人的被害は、長崎市原爆資料保存委員会の調査によると、同年12月の推計で、死者73884人、負傷者74909人におよぶ。大村基地の裏手で山登り中の三四三空の隊員たちが見たきのこ雲は、まさにその原爆によるものだった。佐々木原さんは、原爆投下直後の長崎上空を、おそらく最初に飛んだ日本海軍の搭乗員となった。

 

「飛行機の調子はよく、着陸して『今日は非常にいいよ』と言ったら整備員は喜んでいましたが、私はいま見たばかりの長崎の光景が目に焼きついて、沈痛な気持ちでした……」

夜中になって、大村海軍病院に、長崎で被爆した重傷患者が次々と運び込まれ、海軍基地からも整備員や搭乗員の一部が救援に向かった。

「私は、翌朝は当直で、敵襲があれば出撃する『即時待機』(燃料、弾薬を満載し、命令があれば即座に出撃できる状態)に入ることが決まっていたので行きませんでしたが、帰ってきた連中が言うには、トラックの荷台から腕をつかんでひっぱり上げて乗せようとすると、腕の皮がズルズルと剥けるんだそうですよ。それで、痛い、痛いと、かわいそうで困ったとのことでしたね……」

この日、原爆を投下したB-29は、福岡県の小倉を第一目標としてテニアン島を発進、午前9時44分から三度にわたって爆撃を試みるが、小倉上空は前日の八幡市空襲による煙、もしくは霞に覆われ、照準に失敗。また、福岡県の陸軍芦屋飛行場から飛行第五十九戦隊の五式戦闘機、海軍築城飛行場から第二〇三海軍航空隊の零戦が邀撃に発進したことで、燃料の不安もあって目標を長崎に変更したと伝えられている。いまさら仮定の話をしても始まらないが、このとき、もし長崎上空に哨戒の戦闘機がいたら、あるいは別の結果になったかもしれない。

8月9日、長崎に投下された原子爆弾Fat Man(ファットマン)

当時、長崎からもっとも近い大村基地(現在の長崎空港の対岸)に展開していた戦闘機隊は、新鋭機「紫電改」を主力とする第三四三海軍航空隊(司令・源田實大佐)と、主に夜間戦闘機を装備する第三五二海軍航空隊(司令・山田竜人中佐)である。

記録によると、三四三空には「紫電改」が70機以上、三五二空には邀撃用の局地戦闘機「雷電」10数機と、夜間戦闘機として対爆撃機用の「斜銃」(機体に斜めに取り付けた機銃で敵爆撃機を腹の下から撃ち上げる)を増設した零戦10数機、ほかに夜間戦闘機「月光」「彗星」などが配備されていた。ただし、整備や修理の関係もあり、作戦に使用可能な可動機は、保有機数よりもずっと少ない。

三四三空の紫電改

そのうち、三五二空の搭乗員は、昼間も黒眼鏡をかけ、夜間戦闘に特化した訓練と、米軍の九州上陸に備えた爆撃訓練に明け暮れていたので、除外していい。残るは三四三空だが、なぜ上空哨戒もしていなかったのか。

大村基地の三四三空で、司令に次ぐ実質ナンバー2の飛行長(本来、司令に次ぐ立場の副長は愛媛県松山基地にいた)だった志賀淑雄少佐(故人・1914年-2005年)は、筆者のインタビューに、

「この頃は燃料が足りず、飛行作業は一日おきにしかできませんでした。昭和20年6月頃にはすでに、飛行機や部品、搭乗員の補充もままならなくなり、燃料も不足、あってもオクタン価の低いもので、そのせいで、同じ『紫電改』であっても実質的にかなり性能が低下し、実力を発揮できなくなってきていました。

しかも前日の8月8日、九州北部に、敵大型爆撃機と戦闘機、200機以上による大規模な空襲があり、三四三空は可動機全力、24機で邀撃に発進したんですが、有明湾から北九州にかけての激戦で9機を失ってしまった。残る飛行機も被弾したものが多く、整備を要する状態だったので、9日は『敵機が来襲しても出撃しない』ということとし、私が搭乗員全員を引率して、飛行場裏山に山登りに行くことになったんです」

と語っている。9日の飛行作業止めは、燃料不足と機材の損耗から、源田司令が決めたことだった。志賀さんは、続ける。

左、三四三空司令・源田實大佐。右、飛行長・志賀淑雄少佐

「山の中腹に差しかかった頃、誰かが『飛行機!』と叫び、続いて『落下傘!』の声が聞こえました。長崎の方向に目をやると、青空に白い落下傘が見えたような気がして、間もなくピカッと。一瞬、顔がポッと熱くなる気がしましたよ。

『あっ! あれは広島に落とされたやつと一緒だよ。すぐに下山!』

下山してもどうにもならんな、これは大変なことになったぞ、と思いながら、隊に戻りました。繰り言になりますが、もし燃料が潤沢にあって、三機でも四機でも、上空哨戒の戦闘機を発進させていたら……と悔やまれます」