東京医大「女子差別」の衝撃〜国際比較でわかる日本のジェンダー問題

不祥事の一つで片付けてはいけない
畠山 勝太 プロフィール

日本社会の在り方を考え直す契機に

私の専門は途上国の基礎教育分野であり、高等教育それ自体を専門とはしないことから、今回の問題を大学入試の問題としては深入りしなかった。

しかし、今回のように特定の集団に対して下駄を履かせたり脱がせたりすることは、米国の大学で見られるアファーマティブアクションの問題と同じではないか、という意見が散見される。

たしかに、今回の入試問題は入試制度に手を突っ込んで特定の集団を優遇する点では同じである。

しかし、数の上でも、社会経済的な地位の上でもマイノリティに属する集団に対して、不利になるような介入が行われた点において、今回の不正入試はアファーマティブアクションとは大きく異なる。

さらに、アファーマティブアクション自体も、効果がない、具体的な数値目標に根拠がないという問題はあるものの、それとマイノリティ集団に対する差別が行われたことは別問題であろう。

この手の程度問題を無視した議論は、パレスチナの投石に対してイスラエルが空爆で反撃するのをどちらも暴力だという意見が国際的にまかり通っているように、世界的に見られる現象ではある。

しかし、このような議論は裁量労働制の問題で話題となった「ご飯論法」と同様に、詭弁の一種として認識される必要があるだろう。

 

また、東京医大が私学であることから、このような入試差別は許されるのではないかという意見もある。

だが、東京医大は完全に政府補助金から自由な機関ではなく、私学助成金だけでなく、競争的資金を巡る不正事件からも分かるように、様々な形で税金が入っていることから、まかり通る議論ではないと私は考える(競争的資金の問題については、「文部科学省汚職と競争的資金を、オバマ政権の経験から考える」という記事を執筆しているので、ご参照ください)。

私が勤務していた国際機関では、ジェンダーの専門家を抱えていたものの、私がそうであるようにジェンダーに特化して教育を受けてきた人はそれほど多くない。

その一因として、ジェンダーは分析する対象であって、基本的には分析するツールではないからであり、本来各分野の専門家がジェンダー問題に敏感になってジェンダー主流化が進められるべきものだ、という点が挙げられる。

このようにジェンダー問題は多岐に渡るため、女子教育の問題についても、できればこれを教育だけに矮小化することなく、各分野の専門家によって幅広い観点からこれがどういう現象であるのか考察されるのが望ましい。

そして、これは今回の東京医大の入試問題についても当てはまる。確かにこれは女子の教育機会を阻害し、不当に不合格にされた女子と、女子が不当に不合格にされたことによって社会が本来受け取れた便益を受け取れないという問題になる。

しかし、この問題を女性の労働問題や日本社会の制度・慣習の問題としても捉えていく必要があるし、大学入試以前の教育問題の蓄積を考え直す契機としての価値もある。

冒頭の問いに立ち返ると、日本のジェンダー問題はその根が深く、その発展度合いと比べるとジェンダー分野の支援がしづらい国だと私は考える。

果たしてこのままで良いのだろうか。

今回の不正入試を東京医大だけの問題にするのではなく、日本社会としての在り方を考え直す契機とすべきではないだろうか。