一揆はほんとうに「進歩的な勢力」が担っていたのか?

気鋭の歴史学者が戦後歴史学に挑む

民衆はいつも被害者だったのか? 民衆が戦乱をいかに生き延びたのかを多方面から論じた『戦乱と民衆』(磯田道史+倉本一宏+F・クレインス+呉座勇一著、講談社現代新書、8月21日発売予定)の発売に先立ち、『応仁の乱』『陰謀の日本中世史』などヒット作を連発する歴史学者・呉座勇一氏の特別エッセイを公開する。

階級闘争史観と一揆

拙著『応仁の乱』(中公新書)の予想外のヒットにより、私は何やら応仁の乱の専門家のように見られている。しかし私の本来の専門は一揆で、博士論文でも中世の一揆をテーマに据えた。

一揆を研究対象に選んだ理由はいろいろあるが、一つには一揆が戦後歴史学の花形テーマだったからである。戦後歴史学の意義と限界を見定めるためには、一揆の検討は欠かせない。

では、なぜ一揆研究は戦後歴史学の王道だったのか。それは、戦後歴史学が「階級闘争史観」に立脚していたためである。

 

階級闘争は共産主義の基本的な概念で、非常に単純化して説明すると、階級社会において被支配階級が支配階級による搾取を拒否するために展開する闘争のことである。現代風に言えば、反体制・反権力の抵抗運動、といったところだろうか。その究極の形態が、被支配階級が支配階級総体を否定する、つまりは体制をひっくり返す「革命」である。

軍国主義への反省から、敗戦後の日本では共産主義が流行した。歴史学界でも「マルクス主義歴史学」が主流となった。彼らは共産主義社会を理想視し、日本における共産革命の成功に期待した。

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したがって、戦後歴史学では「日本の人民が権力と闘った歴史」を解明することが最重要の課題となった。このような潮流の中、中世や近世(江戸時代)の一揆は「階級闘争」と把握されるようになった。「過去の歴史において、民衆は一揆を起こして権力と闘った。我々も革命のために闘おうじゃないか!」というロジックである。つまり階級闘争史観においては、一揆は歴史の発展に貢献する「進歩的」な勢力と礼賛されたのだ。

土一揆の実像

多種多様な一揆の中で特に重視されたのが、百姓による一揆、すなわち農民闘争であった。中世史家の鈴木良一氏は中世農民闘争の発展段階を「訴訟逃散」→「強訴逃散」→「土一揆」→「国一揆」と定式化した。

ここでは土一揆をとりあげよう。土一揆は土民、つまり百姓を主体とする大規模な一揆で、参加人数は数千人、時に万を超えたと言われる。教科書では1428年に蜂起した正長の土一揆が特筆されるが、その後も土一揆は多発している。最初のピークは1450年代から60年代にかけての20年間で、この時期には計8回の土一揆が京都を襲っている。3年に1回は発生するペースだ。

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