借金をチャラに…室町時代の人々が怯えた「徳政」とは何だったのか

もともとは美徳とされていたなんて…
早島 大祐 プロフィール

本当は返したくない

以上の事実が示すのは、16世紀末の人々が徳政という債務破棄の脅威におびえるあまり、貸借契約がきわめて煩雑化していたという事実である。

このことは、借りる側から言えば、徳政を盾にすれば、旧来の人間関係も関係なく借金が帳消しにできる機会が常に存在していたことを意味する。

じつは、現在まで残されている、古代から近世にかけての前近代の古文書の大半は、借用証書や、売券と呼ばれた土地売買契約書などのお金をやりとりした証文である。

これらの売買・貸借関係の史料を読み進めていると、契約が厳重なだけに一層、借りたお金を返したくないのは時代を問わない人間の本音であることが行間から読み取れる。相次いで出された徳政令は、人間のこの本音の部分を刺激し、社会を混乱に陥れていたのだ。

より直接的に言えば、信頼できる人にお金を貸すことにすら、疑心暗鬼にならざるを得なかった中世の人々の気の毒な様子が、ここからはっきりとうかがえる。

中世最末期には、債務破棄=徳政は人々にとって、排除すべき邪魔なものとなっていたのである。

現代では完全に不法行為にしか見えない債務破棄としての徳政は、それを受け入れていた中世の人々にとっても、たしかに最初は歓迎すべきものだった。

しかし、滋賀県東部の事例で確認した通り16世紀の終わりまでには、どうやら忌避すべき悪玉的存在になりはてていたらしいのだ。徳政は、時代の移り変わりにともなって、その内実と社会への影響を変化させていたようなのである。

 

内なる文明化

この変化はまた同時に、中世の徳政が債務破棄を意味していた以上、債務破棄が肯定的に見られていた社会から、否定的に認識される社会へと変化したことも意味している。

すなわち、債務破棄が徳政の名のもとで行われていた中世の社会から、借金は返さなければならないという観念を共有する、現代にもつながる社会が生まれてきたのである。

これを別の言い方で言うと、人はいつのころからか、借りたお金を返したくないという本音を包み隠しても、どうやら生きていけるようになったらしいということだ。

この返したくないという本音の部分を、人間の心性の未開の領域とすれば、強固な倫理観念のもと、借金を粛々と返す私たち現代人は、文明化された存在だと言うことができるだろう。

当然、この大きな変化はある日、突然生まれたわけではなかった。紆余曲折のある歴史の推移のなかから生じたと考えられるのである。

なぜ借金は返さなければならないのか。

本書は、15世紀から16世紀にかけて、すなわち室町・戦国時代から近世の成立に至る徳政の200年の歴史を追うことで、日本の歴史上、借金は返さなければならないという意識を共有する社会がいかに形成されてゆき、人間が内なる文明化を果たしたのか、その過程を明らかにすることを目的としている。