借金をチャラに…室町時代の人々が怯えた「徳政」とは何だったのか

もともとは美徳とされていたなんて…
早島 大祐 プロフィール

借金が破棄される

今も昔も、お金の貸し借りには、かたちは違うとはいえ、一定のルールが存在していた。だがその一方で、600年以上前の中世社会と現代社会の金融とでは、決定的な違いが存在していたこともまた確かである。

その最たるものの一つが徳政である。

ここで言う徳政とは、徳のある政治という文字通りの意味ではない。徳政という名のもとで、ある日突然、借金が破棄されて、なくなってしまう事態のことである。

貸していたお金がなくなるなど、今では詐欺行為と同等かそれ以上の悪辣きわまりない行為だと考える人がほとんどだろう。だが中世社会ではそれが徳政という美々しい名のもとで行われていた。

貴族の女房に銭を貸す借上(右側の人物)(『山王霊験記』より)

ここに中世と現代の大きな違いがある。それどころか、ほとんどの場合、公権力が徳政令という法令を出してこの債務破棄を追認していたというのだから、ますますわけがわからない。

ではなぜ徳政の名のもとで、貸したお金を返さないという行為がまかり通っていたのだろうか。そして、突然、貸したお金がなくなる可能性が高かった状況にあって、リスクへの対処も含めてお金の貸し借りは、どのようなかたちで行われていたのだろうか。

このように、現代の目で中世を見てみると、疑問は噴出するばかりだが、まず最後の、債務破棄が横行するなかで、どのようなかたちでお金の貸し借りが行われていたのかという点から見ていくことにしよう。

 

1つの貸借に3通の借用書

16世紀末、現在の滋賀県の東部に位置するある地域で金銭の貸借が行われた。お金の貸し借り自体は、言うまでもなく、いつの時代にもよく見られるものである。

だが、今回の貸借が目をひくのは、同日付の一つの貸借に、3通もの借用書が作成された事実である。

額面は、現在の価格でおおよそ340万円と少々大きく、さすがに一筆がほしい金額である。

ただし貸し手と借り手の関係を見ると、同じ地域の寺院と檀家という、両者は親密な関係にあった。冒頭のたとえで言えば、大学時代の友人同士とも類似する間柄だったわけで、普通に考えれば1通の証文で十分に対応できる額面であったはずである。

にもかかわらず、一筆どころか3通もの書類を書かされた。一体、その背後には何があったのだろうか。この問題を考えるにあたり、まず作成された3通の内訳から述べていこう。

以下、この時の契約の手順を復原していこう。

最初が額面の分割である。まず340万円を二つにわけ、170万円相当の証文が二通作られた。このような手続きがはじめにとられたのも、何かトラブルがあった場合にリスクを半減させるためだった。

そして、2通に分割された証文の体裁も別々のものだった。

1通は額面で170万円相当の、当時は「売券」と呼ばれた土地を売り渡すための証文、すなわち通常の土地売却状である。

もう1通は、同じ170万円相当額の、「預状」と呼ばれる証文だが、これには、この170万円相当額がたんに「預けた」だけだと記されている。

だがまだ、これでおわりではない。

最後に3通目として「徳政落居状(とくせいらっきょじょう)」という聞き慣れない文書も添付された。

すなわち貸し手と借り手の親しい関係からすれば通常、1通で済むはずのものに3通もの証文が必要とされているのだ。