石原さとみが「女子力の権化」からフェミニストになった瞬間

『アンナチュラル』で革命が起きた
西森 路代 プロフィール

『高嶺の花』はどうか?

同作が終わってから3ヶ月、石原は『高嶺の花』に出演中である。本作で石原は、容姿端麗で家柄も良く、才能があり、すべてを持ち合わせたヒロイン・月島ももを演じている。

『アンナチュラル』で、女性蔑視にNOを突きつけるキャラクターを演じた後に、どんなキャラクターを演じるのか、筆者は強い興味を持っていた。前時代に逆戻りしたような女性像が描かれないか…という懸念があったのも事実だ。

しかし同作を見ると、今のところそれは杞憂だったようだ。第一形態と第二形態を経て石原がたどり着いた、一つの形のようにも見える。

日本テレビの番組サイトより

キャバクラで働くももは、結婚式の当日に結婚が破談になるという経験をし、失意のなか生きている。しかし、そうした過去を恥じることはない。女として酸いも甘いも嚙み分けた女性であるということを隠さないのだ。

それは、『失恋ショコラティエ』で、モテることに最適化するあまり自分が何者であるかを見失いかけてきたサエコの未来形のようにも見える。もう、擬態して、幻想を抱かれることなどまっぴらなのである。

石原が、冴えない自転車屋の男・風間直人(峯田和伸)に心を許し、上から目線でつきあうことをほのめかしたのに対して、「俺にはもったいないです」と躊躇したときに「たーかーねーのーはーなーよー(私は高嶺の花よ、だからつきあったほうがいいのよ)」と啖呵を切る(という表現が最もふさわしいだろう)シーンがあるが、自分の魅力や能力の高さを、男性の風間直人に対して、隠すようなことは絶対にしない。

男性の幻想にあわせるために、わざと弱々しい態度をしたりすることは一切ないのだ(ももは華道の家元であることは隠しているが、それは自分の能力を低く見せるためではない。むしろ自分の正体を知らせないほうが、純粋な愛が手に入れられるのではないかという期待の表れだろう)。

 

それは現在ももが働いているキャバクラでも同じで、指名がたくさんあっても、気分が乗らなければ、「一人で飲みたい」と言って、ボーイの要望をはねのけることができる。もちろん、それは美貌を持つ石原さとみだから可能なことだ、という言い方もできるかもしれない。しかし、過去の石原の役柄を考えれば、それすらも大きな変化なのだ。

『ブルドクター』では、法医学者の彼氏に都合の良い女扱いをされていた。『失恋ショコラティエ』のサエコは、自らを擬態し、男性の幻想に合わせる代わりに、安定した生活を保障してもらっていたが、ときに暴力を振るわれていた。しかし、『高嶺の花』のももは、もうそんな失敗はしない。

下手(したて)に出ても、暴力を振るわれたり、ぞんざいに扱われたりするだけだ、私にはすべてがある、むしろあなたは一体何をしてくれるの? と、これまでとは逆に、男性の側に突きつけるのだ。

本作のジェンダー観は、まったく新しいというものではない。だが、それでも見ていて嫌な感じがしない。それは、主演の石原は、傷ついてはいるが、それでもへりくだったり、自信のないキャラクターを演じることがないからではないだろうか。

石原は、第三形態になり、揺るぎない自尊心を手に入れたのだ。