石原さとみは、日本の女子の生きづらさを映す「鏡」である

その役柄はこんなにも変わってきた
西森 路代 プロフィール

可愛い女は、女に嫌われるという構図

第一形態を象徴する2作目は、2007年の『花嫁とパパ』。同作で石原は、アパレルメーカーの新人OL・宇崎愛子を演じた。

愛子の父親(時任三郎)は過保護で、社会人だというのに門限は7時。会社にまで顔を出すため、愛子は息苦しい環境にいる。そんな環境を抜け出すには、結婚しかないと、同期入社の男性社員(田口淳之介)と交際をスタートさせ、父親とのすったもんだが始まる。

愛子の性格は、前述のあおいとあまり変わらない。とにかく素直でポジティブ、健気な点が強調される。ただ、彼女はあおいとは違って極度のドジっ子だ。上司にお茶をかけてしまうという古典的なシーンもある。

愛子は、そのポジティブさとドジっ子ぶりゆえ、女性からは嫉妬され、嫌われる。「女性が狭いコミュニティにいると仲が悪くなる」という、男性目線のステレオタイプな構図だ。

さらに、同僚女性たちから嫌われている愛子を可哀相に思った同期入社の彼氏や男性上司が、愛子を守るという展開も気になる。愛子は「男性に救済されるもの」という位置を与えられているわけだ。愛らしい女性は、同性からは多少嫌われはするが、その分、男性からは愛されるという図式が最初からできあがっている。

さて、こうして見てくると、第一形態の頃の作品には共通する視点がありそうだ。それは、「女性にとって仕事ができるかどうかは重要ではない。健気で前向きで、周囲(特に男性)から可愛がられ、和を乱さないことこそが正義」というものではないか。

あおいも愛子も、仕事での能力が注目されることはない。むしろ女性の価値は、「愛されること」「人間関係の潤滑油たること」であり、それは自然にあふれ出るものだという構図が見え隠れしている。

奇しくも2007年前後といえば、エビちゃんブームが終わるか終わらないかの時期。社会を席巻した「愛されOL」というワードが、ドラマのキャラクターにも体現されていたのである。

しかし、第二形態期に入ると状況が変わってくる。

 

戦略的な「女子力」が求められる第二形態期

2008年の『パズル』という作品から、石原の役は第二形態に入る。

同作で石原が演じるのは、この道10年のベテラン教師・鮎川美沙子。過去、指導した学校では英語の成績が飛躍的に伸びたという実績を持つ有能な人物だ。周囲の人々からは、清楚でおしとやかとみられているが、授業が始まると一変、ドスのきいた声で生徒を脅すという顔も持つ。

第二形態期の石原の役柄は、基本的にキャリアアップしていて、いわゆる「腰掛OL」のようなものではなくなっている(例外もあるが)。2009年の『VOICE[ヴォイス]〜命なき者の声〜』では法医学ゼミに所属する医学生であるし、2010年の『逃亡弁護士 成田誠』では雑誌編集者を演じる。

しかし、石原演じる女性たちが、仕事ができる「だけ」ではないのがポイントだ。

たとえば、『パズル』の美沙子は、一見清楚な見た目だが、実はがめつく傲慢だ。しかし、男性社会で円滑に仕事を進め、問題解決を容易にするため、普段は「可愛い女子」に擬態する。愛らしい声を出し、男性を立て、そして人間関係を円滑にする「女子力」を戦略的に発揮するのだ。

健気で明るく、常に「天然」で行動していた第一形態と違い、第二形態の石原は、男性を凌駕しないよう意識的に振る舞う。その擬態は視聴者にもわかるようになっている。能力が高いだけではダメ。職場の男性をあるときには欺き、またあるときには精神的なケアにまで気を回さなければならないのである。

言い換えれば、石原の演じる女性たちは、社会進出し、能力を手に入れたはいいものの、第一形態の時代の「女性として愛されなければならない」「周囲の空気を乱してはいけない」という価値観に縛られている。

仕事はできなければならないが、それに加えて、女性としての愛らしさや魅力で職場の潤滑油的役割も期待されるという「パーフェクト」な女性が求められていたのだ(後編で指摘する通り、第三形態の石原の役には、こうした側面が極めて薄い)。

ちなみに、「女子力」という言葉が流行語大賞にノミネートされたのは、このドラマが放送された1年後、2009年のことだった。