母を安心させたくて結婚、それなのに

小学校高学年のときに父は家を出て行った。父に対する恨みはなかった。小さな会社の3代目社長だった父は、お人好しだけれどわがままで横暴で、感情の起伏が激しく家事も苦手な母とは、子ども心にも合わない夫婦だったからだ。

父からの養育費のおかげで、わたしは中学から私学の女子校に通った。のちに夫となるはじめてのボーイフレンドができたのは、高校1年生のときだ。わたしはすぐさま母に紹介した。いい家庭の坊ちゃん育ちで偏差値の高い学校に通う彼を、母はすっかり気に入った。度々夕食に訪れるようになり、彼はすっかり我が家の一員となった。

交際中、実はわたしは泣かされることも多かった。いまでも理由がわからないのだが、電車の中でいきなり殴られたことがある。平手打ちでバーン。周囲は凍りついていた。わたしは無言で電車を降り、別れようと思ったが、すぐにさみしくなって自分から元に戻った。電車の中の出来事にはお互い、一切ふれなかった。

大学卒業を待って結婚したのは、たぶん母を安心させたかったからだ。そうして、絶対にこの結婚は成功させようと思った。前述の通り、「大好きな夫と生涯、仲よく暮らす」ことはわたしにとって、人生のミッションだった。

気が強い母の姿を反面教師にし、従順な妻をしてみた。わたしは、何事にもあまりこだわりがなかったから、夫の希望にはたいてい素直に「はーい」と答えた。慣れない家事も一生懸命こなした。夜遅い帰宅も「おかえりなさい」と迎えた。「可愛い妻」をやっているつもりだった。

それなのに。夫は結婚1年も経たないうちに浮気をした。ひと晩やふた晩の「出来心」ではない。1年半近くにも及ぶ本格的な恋愛だった。

発覚の経緯は省略するが、「遊びだった」と謝罪する夫をわたしは許した。誰にも言わずに胸にしまいこもうとした。しかしあるとき仕事を一緒にする男性に夫の浮気と胸のうちを打ち明けた。そうしてわたしは、その人に恋をしてしまった。だが、夫以外の男性とはつきあったことのない不器用なわたしに、その恋は重すぎた。だから、すぐに自分で打ち壊した。

それから20年後にその人と再会し、いよいよ夫への自分の気持ちを誤魔化せなくなっていたわたしは、再び恋に落ちたのだった。

離婚して失ったもの・得たもの

「好きな人ができた」と打ち明けた夜から1年間のゴタゴタの末、わたしは離婚した。家、お金、子ども、友だち、20代からの人生で築き上げてきたすべてを手放す覚悟だった。食べていくための仕事とその人の手だけを握りしめて、わたしは崖から飛び降りた。きっとなんとかなる、と思った。

そうして事実、そうなった。失うことをいちばん恐れていたのは子どもだが、真摯にすべてを話したら、わたしを嫌わなかった。友だちは、わたしの行動に呆れ驚きながらも見捨てなかった。主婦時代に出会ったママ友ですら、「正直、うらやましいわ」と笑いにしてくれた。

思えば、結婚しているときは、生活の中に常に小さなうそがあった。怒らせまい、嫌われまいと、ちょっと隠したり黙っていたり。実際にはそれが、夫にとってはわたしへの疑いとなり機嫌を損ねる理由のひとつだったと、いまはわかるのだが。

恵まれた主婦が離婚して、夫の機嫌をとる代償として得ていたものはすべて失くした。家、お金、「妻」の座。世の中で「独身」がいかに不安定な立場なのかは、離婚してはじめて実感したことだ。

高級住宅地にある広々としたリビングがある家に住めなくはなったが、「何かを失った」とは感じられなかった Photo by iStock

しかし、お金は自分で稼げばいい。家は自分で借りられる。妻の座はないけれど、わたしが一家の主だ。

正直、生活は苦しい。貯金はないし年金もわずかで、いまはまだなんとかなっているが、老後を考えると不安でお尻がスースーとする。70、80までも働く覚悟である。

それでも。小さなうそをつかずにいられる、わたしが「わたしらしくいられる生活」は、なんとのびやかでおだやかなことか。わたしはいま、明日を楽しみに生きている。