なに不自由はないが、「話し合い」できない生活

だから、なにがあっても大好きだと思うようにした。時折ぷかりぷかりと浮かぶマイナスの思いは、シャボン玉のように指で弾いて息で飛ばして、ひとつひとつパチンと潰した。

30代、40代の子育て期を夢中で過ごし、子どももほぼ手が離れた50歳目前のある日、その気持ちは天啓のように舞い降りた。

「わたしが夫を嫌いになるという選択肢もあるんだ」

この時、わたしは夫から無視されて半年くらい経っていた。夫は機嫌を損ねると、わたしを無視してきた。このときは結婚以来何十回目かの無視だった。完全な無視ではない。子どもに気づかれない程度に、必要最小限の会話はする。でも、わたしの顔を見ない。一切触れない。寝室ではなくリビングで寝始める。短くて数日、長ければ数か月、そうやってわたしを静かに拒絶する

機嫌を損ねた理由は言わない。「どうして怒っているの?」と聞くことはできなかった。夫とわたしの間には、いくつかの妙な約束ごとがあり、その一つが「なぜ? という問いかけは禁止」「話し合いはしない」というものだったからだ。いつこの約束が示されたのか、いまは思い出すことができない。

わたしは健気にもその約束を守っていた。機嫌さえよければ、夫はとてもわたしに優しかった。家事にも育児にも協力的だし、旅行にもしばしば連れ出してくれた。束縛気味なのもわたしを愛してくれているからだ。そんな夫に守られながら暮らす生活をしあわせだと思っていたから、わたしは夫に嫌われまいとした。

「話し合いをすると嫌いになってしまう」と言われれば、黙るしかない

「話し合おうよ!」と言ったら…

一度、夫につかみかかったことがあった。理由も言わずに無視し続ける夫に、私は「何を怒っているの?話し合おうよ!」。思わず胸ぐらを叩いた。先に手を出したのはわたし。でも、すぐさま反撃され、床に押さえつけられ、げんこつで後頭部を何度も殴られた。どれだけの力を込めて殴ったのだろう、夫は指の骨を骨折した。わたしの頭痛は、1か月ほども続いた。

その恐怖から、わたしは二度と夫に反抗できなくなった。そうっとしておけば、長くても数か月で機嫌は戻る。黙って、それを待てばいいのだ。時折襲ってくる嵐を、頭を低くして耐え忍べばいいのだ。そうすれば「大好きな人と生涯、仲よく暮らす」理想の結婚生活が実現できる。いつなにで機嫌を壊すかわからなかったから、わたしはいつも夫の顔色を伺っていた。当時のわたしたち夫婦を知る友だちは、わたしがよく夫に上目使いで「ごめんね?」と意味もなく謝っていたと指摘する。

それなのに、なぜかその日、「わたしから夫を嫌いになってもいいのだ」ということに気づいてしまった。一度、生まれた気持ちは、消えてくれない。その日からわたしは、しらじらと日々を過ごすことになった。

それでも、3人の子どもがいての生活は続く。朝5時前に起きてのお弁当づくりに始まり、1日に2回も3回も洗濯機をまわし、家族5人分の夕食をつくる。保護者会、受験準備、塾への送迎、子どもの友だちが来てのお泊まり、ママ友づきあい、それらがすべて3人分。そこにもちろん仕事も加わる。心の隅に、いじったら爆発してしまう手榴弾を抱えながらも、わたしはそれらをこなした。

もちろん楽しいこともあった。海外ドラマのDVDを借りてきて、家族5人で鑑賞していたのもこのころだ。年ごろの息子が付き合ってくれる、それは大きな喜びだった。そう、わたしたちは「一見」仲のいい家族だったのだ。

だから、「これでもいいか」と思おうとした。かわいい3人の子どもに恵まれ、経済的にも豊かなのだから、これ以上を求めなければいいのだ。自分の意見を言えなくたっていい。

けれど、抱えてしまった手榴弾は、わたしの心を暗くした。犬の散歩をしている30分間、わたしは自分の将来を思い描いた。子どもが巣立ったあとは夫とふたりでの暮らしになる。「なぜ?」と聞くこともできない人と、いったいなにを話せばいいのか