マメンチサウルスの復元図 Illustration by Getty Images

大発見…! 農民の「バイト発掘」が「恐竜=鳥」説を確立させた

「恐竜大陸をゆく」第1回
上海の雑踏で労働者の声に耳を傾け、少数民族の支配する辺境で逃亡者に接触する──。中国を舞台に縦横無尽の取材を重ねてきたルポライター、安田峰俊氏が新境地に挑戦。ブルーバックスで「恐竜」をテーマに新連載をスタート!

恐竜像を塗り替える新発見が続出中

近年、中国は恐竜研究の分野でも目覚ましい台頭を見せている。

もともと、広大な国土を誇る中国は内モンゴル自治区や四川省自貢市・宜賓市付近(マメンチサウルスやトゥオジャンゴサウルスの出土で有名)、雲南省禄豊県付近(ルーフェンゴサウルスなどの出土で有名)など、各地に中生代の古生物化石出土のメッカが存在してきた。

加えて1990年代以降、遼寧省などに広がる熱河層群から、明らかに羽毛の痕跡を持つ小型獣脚類の化石が数多く発見され、従来の恐竜像そのものを塗り替えつつある。

筆者(安田)の本業は中国をメインフィールドとして活動するルポライターであり、長年の恐竜ファンでもある。このWEB連載では、主に中国語のニュースや論文から、中国周辺の恐竜情報や、これと関連するよもやま話の発信を試みてみたい。

(私はあくまでも中国屋の立場から現地の恐竜の話題を紹介していくため、恐竜学のアカデミックな知識をお持ちの方には違和感がある記述もあるかもしれない。お気づきの点があれば、気軽にTwitter:@YSD0118 までぜひご連絡をいただきたい。ご指摘を歓迎する)

まず第1回は、恐竜ファンなら多くの人が知っている中国恐竜たちの、人類との出会いの物語を紹介していこう。

違う名前になるはずだった「マメンチサウルス」

ジュラ紀後期に生息した大型竜脚類マメンチサウルスは、中国の恐竜の代名詞的存在だ。22メートルほどの全長のうち、実に半分を頸部が占めている。

マメンチサウルス
2017年5月に中国郵政が発売したマメンチサウルス・ホチュアネンシスの切手。『中国恐竜』シリーズ切手の一部である。https://kknews.cc/collect/q2eyp9b.htmlより


マメンチサウルスの化石が最初に発見されたのは、中華人民共和国の建国から3年後の1952年、四川省宜賓県(現、宜賓市)の馬鳴溪でのことだ。

金沙江(長江の上流)沿いで山を切り崩す形で道路工事がおこなわれていた際、工事に従事する労働者が山の一部を爆破。そこで出てきた石のなかに恐竜の化石らしきものがあり、工事チームが地元当局に報告したことがきっかけになった。

結果、宜賓県当局は工事の一時中止を決定。爪先の化石がサンプルとして北京へ送られた結果、中国古生物学・地質学の泰斗である楊鍾健(C.C.Young)博士が発掘調査にやってくることとなる。

やがて全長22メートルになるかという竜脚類の化石が掘り出され、1954年に楊博士によって「マメンチサウルス(Mamenchisaurus:馬門溪龍)」と命名された。

社会主義色の強い時代に工事現場で発見されたためか、この模式種には「Mamenchisaurus constructus(建設馬門溪龍)」というユニークな名前がついている。

ところで、化石が発見された場所が「馬鳴溪」(Mǎ míng xī:マァミンシー)なのに、なぜマメンチサウルスの漢字表記は「馬門溪」(Mǎ mén xī:マァメンシー)なのか?

その理由は、楊博士が標準中国語ではなく彼の地元の陝西省の方言で地名を呼んでおり、漢字を書き間違えたという説が有力だ(陝西方言では「鳴」と「門」は同音になるという)。

本来、マメンチサウルスは「マミンチサウルス」だったかもしれないのである。

中華人民共和国の建国直後で、標準中国語の発音や漢字表記がまだ確定しきっていなかった時代らしいエピソードだと言えよう。

マメンチサウルスの仲間はその後も、四川省・雲南省・甘粛省・新疆ウイグル族自治区など中国各地で見つかり、合計9種(うち3種は有効性に疑義あり)が報告されている。

1957年4月、四川省の合川県(現、重慶市合川区)で化石が発見され、晩年の楊博士によってMamenchisaurus hochuanensis (合川馬門溪龍)と名付けられた種は、日本の福井県立恐竜博物館にも展示されており、気軽に会いに行くことができる。