元捕虜収容所長を祖父に持つ記者と日本軍捕虜だった米国兵の対話

遠い記憶の先に終止符を探して【前編】
小暮 聡子 プロフィール

波乱含みで始まった取材

参加1日目、体験談を聞くセミナーが続き、元捕虜のうち1人と翌日に個別にインタビューする約束を取り付けた。自己紹介の際には「記者」を名乗った。元収容所長の孫だと言えば、相手を怒らせるか、傷つけかねない。何より、先入観なく本音を語ってほしかった。だが結局、この取材は思わぬ方向に走りだすことになる。

元捕虜ダレル・スターク(92)のインタビュー当日、約束の時間の少し前にホテルのロビーに行くと、別の元捕虜の娘で、知り会って2年になるパム・エスリンガーが男性と談笑していた。エスリンガーは、私の祖父が元収容所長であることをこの会場で知る数少ない1人だ。そこに、スタークと娘のジュディ・ギルバートが現れた。

 

エスリンガーはスターク親子と知り合いらしく、2年前に私がオクラホマ州に彼女の父親を訪ねたこと、秋には日本に行って私の両親に会うことをうれしそうに話す。スタークの娘が私たちの関係を尋ねると、エスリンガーは少し戸惑い、間を空けた後こう言った。

「彼女のおじいさんは、父がいた収容所の所長だったの」

エスリンガーの父親ジャック・ウォーナー(93)は、祖父が管理していた収容所にいた捕虜の1人だった。2年半前にニューヨーク支局に赴任した私は、知人を通してその存在を知っていたウォーナーに連絡を取り、翌年に彼の自宅を訪ねた。ウォーナーには祖父や日本への憎しみや敵意はまったく見られず、私は彼の4世代にわたる大家族から思いもかけないもてなしで迎えられ、その後も交流が続いている。

2013年、小暮氏は祖父が所長をつとめた収容所にいたウォ―ナー氏のもとを訪ねた。戦時中の写真を取り出しながら温かく迎え入れてくれた 写真提供/ニューズウィーク日本版

だがスターク親子はそれを知らない。その後の数分間は、これまで何度も見てきた光景と同じだった。祖父の話を切り出された相手は一様に、表情をこわばらせたまま固まる。驚いた様子のスタークの娘は、耳が悪くて聞き取れなかった父親にエスリンガーの言葉を繰り返す。すると、今度はスタークが目を大きく見開いてこちらを見た。

エスリンガーがすかさず「父は、彼女のおじいさんは良い所長だったと言っている」と言うと、父娘の表情はいくらか和らいだ。そしてスタークは「君には、すべてを話す。私が知っているすべてを話す」と、怖い顔をして立ち上がった。私は自分の心も、みるみるうちに固まっていくのを感じていた。