老後の天才・北斎が70歳過ぎから始めたこと

だから89歳まで長生きできた
神山 典士 プロフィール

80代に250キロを4往復

北斎80歳ころの自画像 /Getty Images

北斎がアトリエを持った長野県小布施へは、83歳から死ぬまでに、当時住んでいた現・墨田区から250キロの道のりを4度往復している。

私も墨田区から小布施まで、北斎が立ち寄ったゆかりの地を巡る取材の過程で、実際に北斎が移動した道程を歩いてみたのだが、江戸時代の80歳半ばの人間が歩いたと考えると驚異的な健脚ぶりである。

この生命力はどこから来ているのか? 生活の細部や思想に、長寿壮健の秘訣があったのではないか。いくつかの要素が見えてくる。

まず、北斎には、過去を悔やみ、未来を憂う発想がなかった。常に現在、いま掲げているテーマに殉じている。

北斎は町を歩くときでも、常に呪文を口にしていたという。「そうすれば他人が話しかけてこない。めんどうにならない」と言った。

このことを、松本在住の心療整形外科の第一人者、谷川浩隆医師は「歩行禅に近い」と評した。

「過去や未来にしがらみを持たない、こだわり過ぎない。現在の課題やテーマだけを追い求める。その姿勢は現在言われるマインドフルネスの発想に近いと言えます。それを歩きながら行っているのですから、長寿につながると思います」

 

北斎は晩年、小布施の豊かな自然環境の中で製作に没頭できた。このことも長寿の理由の一つだと、老年内科を専門とする石原藤樹医師は言う。

「墨田から小布施までの旅は過酷にも見えますが、江戸時代の人間のほうが健脚です。しかも風景や環境が変わってリフレッシュになる。小布施では草花を愛でながら毎朝クワイを二個食べる生活だったといいますから、カロリー過多からも自由になれる。理想の生活環境ではないでしょうか」

北斎の絵が評価されるのは、彼の死後。生きている間は生活に困窮することも多かったのはよく知られているが、それでも北斎は金銭には執着しなかった。

毎日深夜に寝つくまでひたすら絵と向かい合う生活。疲れれば蕎麦を二杯すすり、酒もタバコも飲まない習慣。高い理想を掲げて、妥協しない性分。幕府の命に背いてでも、未知の西洋画に食らいつく執念。

北斎は小布施では日々獅子の姿を描き、それを魔除けのように扱っていた。日新除魔と呼ばれるそれらの作品は約200枚残り、重要文化財になっている。これは、ストレスを引きずらないための一種の精神療法だった。

北斎の生活の細部には、「人生100歳時代」をピンピンコロリと上り坂で生ききれる「秘訣」に溢れているのである。