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老後の天才・北斎が70歳過ぎから始めたこと

だから89歳まで長生きできた

代表作は70歳過ぎてから

葛飾北斎ブームが、ここ数年、世界的な潮流となっている。

2014年、パリのグラン・パレで行われた史上最大規模の「北斎展」、17年大英博物館とあべのハルカス美術館の共同開催で行われた「北斎展、Beyond the GreatWave(ハルカスではByond Mt.Fuji)」を双璧として、ボストン、ローマ、ミラノ、ベルリン等のナショナル・ミュージアムでは北斎、あるいは浮世絵をテーマとした美術展が開かれた。

もちろん日本でも、17年には国立西洋美術館で「北斎とジャポニスム」展、17~18年にはゴッホとジャポニスムをテーマにした「ゴッホ展、巡りゆく日本の夢」も行われた。

葛飾北斎は、現在の東京都墨田区に1760年に生まれ、1849年に90歳で亡くなっている。江戸時代の日本人としては大変な長寿だ。

しかも、ゴッホやモネがのちに驚嘆し、ジャポニスムを巻き起こすきっかけのひとつとなった『冨嶽三十六景』が完結したのは1833年。上の写真の代表作、『凱風快晴(通称『赤富士』)』や『神奈川沖浪裏』の製作は70歳前後に始めているのである。

 

私は、最近、西洋に北斎ブームをもたらした画商・林忠正や、北斎が晩年のアトリエとした長野県小布施の豪商・髙井鴻山らを軸に『知られざる北斎』を上梓した。

その過程で取材を重ねるごとに、北斎こそ現代の「人生100年時代のロールモデル」なのではないかと思いを強くしている。

「老後の天才」とも言える葛飾北斎に、いまの日本人が学ぶべきヒントがたくさんあるのではないか。

110歳までの目標を立てる

たとえば北斎は翌1834年に出版した『富嶽百景』の跋文に、己のこれからのマニフェストを次のように記している。

「73歳にして禽獣虫魚の骨格、草木の出生を悟り、86歳にして(その腕は)ますます進み、90歳にして奥意を極め、101歳にして神妙ならん。110歳にして、一点一格が生きるがごとくならん」

当時の平均寿命は50歳以下。その時代に北斎は75歳で110歳までのマニフェストを公に掲げ、110歳まで生きれば「生きるが如く描く」と己の成長を疑わなかった。

「70歳までの絵は取るに足らない」と、これからさらに上達していくことを宣言している。実際、60代に描いた鍾馗図よりも80代で描いた鍾馗図のほうが細部に迫力があり、表情も勝っているといわれる。

最晩年、89歳で描いた「富士越しの龍」図は、最高傑作の一つともいわれる。

もともと、30回も名前を変えたり、90回も転居したり、生活のためもあったとはいえ、挿絵や漫画など浮世絵以外も描いてきた北斎。『富嶽百景』以降も、油絵など西洋画の手法を始めるなど、一生学び続ける姿勢を崩さなかった。

その成果のひとつが、長野県の小布施町にある畳21畳分の天井画「八方睨み鳳凰図」や祭屋台2基の天井絵「男波、女波」、「龍図、鳳凰図」等などである。

それらは娘のお栄や弟子たちとのチーム北斎の制作と言われるが、鳳凰の目元のあたりなど、肝心の部分は北斎自ら描いている。

そして病に臥せってからは、わずか4ヵ月で昇天した。いわゆる「ピンピンコロリ」に近い、誰もが羨む「死に方」なのだ。