この国はまだまだ捨てたもんじゃない…西日本豪雨と優しい日本人

被災地で見つけた 市井の「偉人」たち
週刊現代 プロフィール

せめて、炊きたてのご飯を

天応西条3丁目に住む豊島啓伸さん(44歳)は、7月6日の夜、中学3年生の息子と自宅にいた。

「防災無線で避難指示が流れてたようだけど、ゴーッという雨の音がすごすぎてよく聞き取れなかったよね。逃げようと思ったころには、自宅前の道は激流になっていて、とても出れる状況じゃなかったんよ。

後輩の奥さんは避難しようと山を越えた地区まで下ったら、川の水がいっぱいになっていた。それで上に引き返したら、土砂崩れに飲み込まれて、そのまま亡くなってしまった。もっと早く逃げたら、逆にもっと遅かったら土砂崩れに遭わず、助かったかもしれない」

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豊島さんは9日から後片付けをはじめた。コンクリートの垣根は完全に崩れ落ち、断水状態が続くが、長らく使っていなかった井戸水は無事だった。

「うれしいことに、同じ地区の人たちが集まって、撤去作業を手伝いに来てくれとる。今日は近くの仲間とその子供たちも含めて、6人くらい。子供も別のところに預かってもらっているし、助け合いってやつですね」

地区は二次災害の危険が残り、元どおりの生活に戻れる見通しはまるで立たない状況が続く。そんな状況でも、豊島さん宅の一角には時折笑い声が響き渡っていた。これは力を合わせて前へ進もうとするたくましい姿そのものだった。

 

天応地区から車で5分ほど、呉市街へ向かう国道31号線沿いにあるコンビニ「ポプラ」呉梅木店は、一日も休まず営業を続けた。店の扉には「店炊きごはんあります」「トイレ使えます」と手書きの紙が貼られていた。

地域住民のために店を開け続ける。店員の服部亮祐さん(20歳)はその一心だったという。

「ほかの店は閉まっていたけど、うちは店長と相談して、開け続けようと決めました。店内用に水を備蓄していましたし、コンセントを無償で貸したり、トイレを開放したり、できることはなんでもしました。

うちは店舗で米を炊いて出しているんですが、7日の夜にはもう在庫が尽きてしまった。そのことを常連さんに話すと、『ウチのを分けてあげるよ』と4㎏ほど持ってきてくれたんです。

本来であればダメなのかもしれませんが、災害時にそんなこと言っている場合ではない。みなさんに炊きたてのご飯を食べてもらうことが大切だった」

幾度となく天災に見舞われてきた日本だが、万全の防災をしている人はそう多くない。だからこそ、最後に人命を救うのは、いざというときの他者への思いやりなのだ。