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この国はまだまだ捨てたもんじゃない…西日本豪雨と優しい日本人

被災地で見つけた 市井の「偉人」たち

都市部から、わずかに車を走らせるだけで、土砂に埋まった街があった。未曾有の豪雨が残した爪痕はあまりに深い。だがその一方で、すでに被災地の人々は前を向いて動き始めていた。

「あの日、うちの隣の家では、おばあちゃんとその娘さんが、『足が届かなくなる』と助けを呼んでいました。

見ると、2階の天井近くまで浸水し、2人は窓枠にしがみつき、いまにも流されそうな状態でした。とはいえ、私も同じく自宅の窓枠にしがみついた状態で助けるどころじゃない。

そんななか、向かいの家の長男が水の中に飛び込み、2人を助けたんです。48歳の男性で、家族と自宅のベランダに避難していたが、2人の悲鳴を聞くや、彼は行動に移した。

水の勢いはすごくて、プロパンや灯油缶などあらゆるものが流れていたから、彼もどうなるかわからなかった。『よく泳げたもんだな』と感心しました」(70代女性)

岡山県倉敷市・真備町。約2万2000人が暮らすのどかな田園風景は、7月7日の未明、濁流に飲み込まれ、土煙と瓦礫の街と化した。

そのようななか、自衛隊員でも警察官でもない、勇気ある市井の人たちが、間一髪の状況から多くの人を救ったのだ。

真備町には身の危険を顧みず、たくさんの命を救った人物がいる。地域の障害者を支援するNPO法人の多田伸志さん(57歳)は、グループホーム利用者を助けるために、濁流の中に飛び込んだ。

「町内に点在するグループホームには、7人が取り残されていました。まず向かったのは利用者5人が暮らすアパート。ポリタンクを浮き輪がわりにして、500mくらい泳ぎました。

5人は2階のベランダで救助を待っていて、彼らを屋根伝いに、高台の民家まで避難させました。そこからほかの2人がいる場所まで泳ぎ、被害の及ばない家の屋根まで連れていき、救助を待ちました」

 

こうした街の「偉人」がいてもなお、多くの命が失われた。岡山県内で61人、14府県で計222人が犠牲になった(7月17日現在)。その悲しみに沈む間もなく、住民やボランティアは黙々と土砂を掘り起こし、身の回りの品を整頓しなければならない。

連日35℃を超える被災地には強い日差しが照りつけるが、日陰はない。家屋の軒も大きな木も、みな流されてしまったからだ。

広島・岡山両県の川沿いでは、土砂に住宅が半分以上埋まり、3m近くの深さがあったはずの川と道路の境目がなくなった地区もある。

行き場を失った川の水が、つい数日前まで道路だったアスファルトの上を流れ、住民や救助隊は逆に川だったはずの場所を歩く。

広島県呉市の天応地区は、もっとも被害が大きかった街のひとつだ。

7月13日、あふれる川の水も干上がりそうな日差しの中、予想だにしない警報音が住民のスマホから一斉に響き渡る。

避難指示――天応地区に土石流の恐れ。もう雨は降っていないのに、どういうことなのか。半信半疑のまま、住民は避難場所に指定されている天応小学校へと向かう。途中、自宅へ戻ろうとする夫を引き留める女性の姿があった。

「何しとる、はよ逃げんと」

「土石流なんて来ん、大丈夫じゃ」

「そう言って人が死んだんじゃろうが!」

極限の状態、一人取り乱せばたちまちパニックに陥りかねない。だが西日本豪雨の被災者は、目をそむけたくなる状況に粛々と向き合い、助け合うことを忘れていない様子がうかがえた。