「ゲンバク」と呼ばれた長崎の被爆少年が受けた「あまりに酷い差別」

いじめと差別はなくなるか
中村 由一 プロフィール

「面接終わり」

中学3年生になると、就職組の生徒たちは自分の進路を決めなくてはなりません。僕は、小学校の頃から港に行くのが大好きで、船を造ることが夢だったので、長崎で一番大きな造船所を希望しました。ところがそのことを知った担任の先生は、こう言うのです。

「おい、中村、それはやめとけ。お前の学力だと難しいけん、ほかの会社ば、受けんや」

先生は、何かを隠しているようでした。説得して試験を受け、難しかったけれども合格通知が来ました。猫の手も借りたいくらい人手を必要としていた造船所は、受験者をほぼ全員採用しようとしたそうです。

残るは面接です。面接で落とされることはほとんどないと聞いていたのですが、僕はしっかりと準備をしました。志望動機やどんな仕事をしたいのか、得意な科目は何か……受け答えを繰り返し練習しました。

いよいよ面接当日。なんと面接でまず聞かれたのは僕のことではなく、父の職業でした。「靴職人です」と答えました。次に聞かれたのは、僕が生まれた場所についてです。

「浦上です」

と僕は答えました。すると面接官はさらに「浦上のどこと?」と問いただしました。僕は「浦上町です」と答えました。すると、

面接終わり

僕は思わず、「え?」と聞き返してしまいました。でもそれ以上は何も聞かれずに、面接は終わりました。

 

生まれた場所でなぜ差別されるのか

面接から帰宅した僕は、母から初めて「被差別部落」の話を聞きました。浦上町は、他の町に暮らしている人から差別を受ける「被差別部落」だったというのです。

僕は周りの人と、なにか違うのか。生まれた場所が理由で、どうして身分が決まってしまうのか。大きな石が頭の上にふってきたような気持でした。同時に、小学生のときにいじめられた理由が分かったと思いました。

被差別部落の人たちは、会社に入ろうとしても希望通りに就職できないことが多い、大好きな人ができても被差別部落出身であることを知った相手の両親に、結婚をやめさせられることが多いなど、母は就職差別や結婚差別のことも教えてくれました。そして数日後、予想通り不合格の通知が届きました。

郵便局での仕事と高校

その後、船の修理工場に就職ができたものの、半年で会社が倒産してしまいました。父と同じ靴職人を目指して親方のところに丁稚奉公をさせてもらいもしましたが、それも断念。そのときに、郵便局の手伝いをしないかと声をかけてくれる人がいたのです。

最初は郵便局全体の掃除をするのが主な仕事でした。トイレや煙突をきれいにし、ゴミを集め、薪を割って窯で湯を沸かす仕事もしました。タン壺を洗う仕事は一番嫌な仕事でした。3年ぐらいこの仕事をつづけたある日、郵便局長から呼び出され、正式採用を打診されました。正式に公務員になれるなんて夢のようだと、嬉しくて仕方ありませんでした。