「ゲンバク」と呼ばれた長崎の被爆少年が受けた「あまりに酷い差別」

いじめと差別はなくなるか
中村 由一 プロフィール

小学校の先生が呼んだあだ名

1949年4月、僕は茂木から移り住んだ大浦で、小学校に入学しました。僕はみんなができる読み書きができず困りましたが、もっと困ったのは頭に髪の毛がなかったことです。この頃、僕の髪の毛は1週間で全部抜けてしまっていたのです。

入学してしばらくは、先生は「中村由一くん」と出席をとりました。でもあるときクラスの男子が「先生、中村由一とよばんでよかとよ。みんな中村を『ハゲ』と言ってる」と言ったところ、先生は笑いながら「そうねえ、『ハゲ』たいね」と言い、それからずっと「ハゲ」と呼ばれるようになりました。

3年生になった頃、嬉しいことがありました。髪の毛が生えてきたのです。でも、原爆が落ちたときにできた、頭の真ん中から後ろにかけての傷のようなところははげたままでした。先生がみんなの前で言いました。

ハゲに髪の毛がはえてきたと。よーく見とってみろ

心が痛くて痛くてたまりませんでした。

僕の名前は「ハゲ」から「カッパ」に代わり、担任の先生は出席を取るときに「カッパ」と呼ぶようになりました。

大雨の日に、校庭の真ん中に僕の机といすが置いてあることもありました。学校の授業でカレーを作るときになぜか僕の班だけカレー粉がなく、市場に買いに行かされたこともありました。足が不自由でしたから、とても時間がかかります。学校に戻った時には、もう昼休みになっていました。なぜかカレーの臭いがする教室で、僕は唯一残された白いご飯のお昼を食べました。

なんで、こんなにいじめられるんだ? 貧しいから? 髪型が変わってるから? 勉強ができないから? なんで、なんでという叫び声で心のなかがいっぱいになりました。

 

「新しい名前は『ゲンバク』です」

5年生になると、僕はまた新しい名前をもらいました。

大浦に来た時から、僕は浦上町出身であることと、被爆者であることを隠し続けてきました。4年生までは先生も言わないでいてくれました。ところが5年生になって、髪の毛が生えそろってきた僕の前で、先生がこう言ったのです。

今日からカッパは新しい名前になりそうですよ。新しい名前は『ゲンバク』です

ショックでした。「ハゲ」や「カッパ」ならまだいい。まさか、あの苦しい体験をあだ名にされるとは思わなかったからです。クラスでただ一人の被爆者だった僕は、それからみなに「ゲンバク」「ゲンバク」と呼ばれました。

こうして「ハゲ」「カッパ」、そしてついには「ゲンバク」と僕を呼んできた先生が、久しぶりに「中村由一」と呼んだのは、卒業式のときでした。僕はとても複雑な気持ちで、返事をせず、立ち上がることもしませんでした。「カッパ」「ハゲ」とよばれたのなら、「はい」と返事をして立っていたと思います。あるいは「ゲンバク」でもいいです。でも先生は、保護者達が来ているところで「ゲンバク」とは呼べませんでした。

先生、ゲンバクと呼んでくれんね

きっぱりと言いました。先生はその言葉が聞こえなかったように、優しい声でこう言いました。

きょうは、中村由一になってください。私はあなたの名前を呼びましたよ。うしろにお母さんが来とっとでしょ」

母の気持ちを考えて、僕は思い直し、「中村由一くん」と呼ばれたことに返事をして、卒業式は終わりました。でも、何かに負けた気持ちがしました。

卒業式のあとまでいじめは続きました。同級生たちに卒業証書を奪われ、真ん中が破けてしまったのです。

この日に、僕はひとつのことを感じていました。それは、卒業証書は母のものだということです。なぜかというと、母が昼も夜も働いて働いて学校に行かせてくれたおかげで、手にすることができたからです。文字の読み書きができなくても、差別に負けずに戦った母のためにも、この卒業証書は絶対に奪われてはいけない、母に渡さなくてはいけないと思いました。そう思うと力がわいてきて、卒業証書を同級生たちから奪い返し、母に渡すことができました。

中村さんの小学校の卒業証書。「修」の字と「証」の字の間の切れ目が、卒業式の日に破かれたところだ ©講談社