実は女性の半数は「地図が読める男脳」より地図が読める科学的根拠

ラボ・フェイク 第6回
伊与原 新 プロフィール

脳の性差は「生まれ」か「育ち」か?

話を「男脳・女脳」に戻そう。OECD(経済協力開発機構)がある報告書の中で、「神経神話(Neuromyths)」なるものを提唱している。脳にまつわる科学的根拠のない言説を列挙し、批判しているのだ。

「人間は脳全体の10%しか使っていない」「人間は右脳型と左脳型に分かれる」「脳において重要なことは3歳までに決まる」など、巷でよく耳にする話ばかり。「男女の脳には違いがある」というのもそこに含まれている。

ということは、やはり「男脳・女脳」はただのニセ科学なのだろうか。確かに、まともな脳研究者がそんな言葉で何かを説明するようなことは、さすがにない。だがその一方で、彼らの多くは「構造にも働き方にも、脳には何らかの性差がある」と考えている。

つまり、その「差」をどうとらえるか、どう表現するかが、研究者によって大きく異なるのだ。主流をなす意見は、時代によっても振り子のように大きく揺れ動く。その流れをたどってみると、科学というものが様々な信条をもつ人間の営みであることが垣間見えて、興味深い。

 

今から100年ほど前まで、科学的事実として知られていた男女の脳の違いは、その大きさと重さだけであった。男性の脳は女性のそれより平均140gほど重い。男女の体格差を補正すれば消えてしまうその差のみをもって、男性は女性より知力に優るとされていた。

1960年代に入り、「人権」や「平等」というものの価値が高騰し始めると、脳科学もその流れに引き寄せられていく。人間の脳には生まれつき、人種差や男女差はおろか、個人差さえない。誰もが“空白の石板”として同じ脳を与えられて生まれてくる。知性も性格も、育つ環境と教育がすべて決める。そんな考えが幅をきかせ始めた。

アメリカの性科学者ジョン・マネーは、性自認も完全に後天的なものだと考えていた。「3歳までであれば人間はいずれの性にでもなれる」という自説を確かめるために、1965年、マネーはおぞましい試みに着手する。

[写真]ジョンズ・ホプキンス大学で教鞭を執ったジョン・マネーは「トランスジェンダー」などの研究を行い、「セックス」と「ジェンダー」を区別すべきだという主張を展開した性科学者でもあったが、その実験にはおぞましいものも含まれていた(Photo by GettyImages)ジョンズ・ホプキンス大学で教鞭を執ったジョン・マネーは「トランスジェンダー」などの研究を行い、「セックス」と「ジェンダー」を区別すべきだという主張を展開した性科学者でもあったが、その実験にはおぞましいものも含まれていた(Photo by GettyImages)

割礼手術の失敗によって男性器を失った生後2週間の男児に性転換手術を施し、ブレンダという名の女児として育てさせたのだ。何も知らないブレンダは、マネーによるカウンセリングとホルモン治療を受けながら、両親のもと女の子として生活を送った。

マネーはその後10年以上にわたり、この世界初の試みは順調に経過している、と学会で報告し続けた。一部のジェンダーフリー論者たちは、その言葉に大いに勇気づけられたようだ。だが、マネーの報告はまったくの偽りであったことが、のちに判明する。

実のところ、ブレンダは3歳の時点で女の子の服を嫌がり、人形ではなく銃や車のおもちゃで遊びたがるようになっていた。男の子のように振る舞う彼女は学校でもいじめに遭い、悩み苦しむ。見かねた両親がブレンダに真実を告げたのは、彼女が14歳のときだった。

ブレンダは名前をデイビッドに変え、乳房切除手術を受けて、ようやく男性としての人生を取り戻した。だが、その精神はおそらく取り返しのつかないところまで傷んでいたのだろう。38歳のとき、彼は自ら命を絶った。悲劇というより他ない。