人工知能を制作してわかった「人間の条件」

「哲学2.0」の時代
三宅 陽一郎 プロフィール

このように、人工知能の哲学を考える上で東洋哲学的な視点は有益です。

西洋哲学は、「考える存在」としての自我と、記号操作によって思考を表現するビジョンを提供しました。前者はデカルトが、後者はライプニッツが用意しました。

一方、東洋哲学では、世界についての判断をする前に知能は世界とまじりあっており、その混じり合いから次第に世界についての判断を加えて解釈していくのです。これは西洋にはない発想です。

人工知能は、「西洋の知恵」と「東洋の実践的体験知」を交互に組み合わせながら構築して行きます。それは人間探求の成果でもあるのです。

 

新しい哲学の構想へ

ロボットは鋼鉄の身体を持ち、目には見えませんが、その頭脳である人工知能もまた世界との柔らかい結びつきを持てていません。

「人工知能は論理と情報だ」と言う意見は多くあります。しかし、知能は情報処理体ではありません。

内と外が複雑に絡み合い、環境の一部として動作しながらも、自律性を保つシステムなのです。そのシステムは意識を生み出し、意識は世界に対して泣き笑い、希望し落胆し、立ち向かい敗れ去り、生きて死んでゆく、さまざまな精神の活動を持っています。

私の仕事は、論理と情報の狭い隘路に陥った人工知能を、より広い精神活動を展開する主体へと導くことです。

そのためには、物質的存在としての知能と、精神的な存在としての知能、両者を高い次元で結びつける哲学が必要とされます。それはまさに17世紀以来の哲学の課題そのものでもあるのです。人工知能の本質へ至ることは、われわれ人間の本質へ導かれることでもあります。

人工知能を作ることは、普段、人間が立脚している世界の足元について問い直す哲学的契機を与えます。われわれが何者で、どこへ行くのか、その哲学的探求によって開拓された土壌が、そのまま人工知能のよって立つ土壌となるのです。