人工知能を制作してわかった「人間の条件」

「哲学2.0」の時代
三宅 陽一郎 プロフィール

さて、頭脳と身体で世界を知ると、そこから知能は2つの方向の運動を展開します。自分自身を形成し維持する自己保持(ホメオスタシス)の方向、もう一方は自分自身を世界に投げ出す自己投与(アポトーシス)の方向です。生物はこの2つの衝動の間を行ったり来たりするのです。それが生物の存在の本質です。

人間の知能はみな、よく似ています。しかし、みな違っています。でも、現在の人工知能が決して手に入れられない能力があります。それは「問題を作る」能力です。現在のところ、人工知能が問題を立てることはできません。またその必要もないのです。人工知能はこの世界に根付いて生きていないのですから、危機に直面することがないのです。

では、人工知能はどこにいるのかと言えば、人間が作った問題の上に存在しているのです。規定されている、と言った方がいいかもしれません。そのような人工知能のことを、「問題特化型人工知能」と言います。あるいは「問題依存型人工知能」と言ってもいいでしょう。

そのような人工知能は決して問題の外に出られません。問題の外ではまったく無力どころか、存在することすらできないのです。これを「フレーム問題」と言います。「フレーム問題」とは無限の世界から、有限の問題を定義する知的能力のことを言います。1960年代から人工知能の基礎に横たわる大きな未解決問題です。

現象学と人工知能

この世界に属するためには、この世界に根付いて生きるための身体が必要です。我々は精神ではなく、身体によってこの世界に存在しています。

さて、身体をめぐる哲学を考える上で有益なのが現象学(ドイツの哲学者フッサールによって20世紀初頭から形成された、経験を出発点として構築する哲学のスタイル)です。

エトムント・フッサール

デカルトは「われ思う故にわれあり」という言葉にあるように、絶対に疑い得ない自分から出発して思考によって真実にたどり着くことを説きました。これは当時支配的であった形而上学への対抗でもあったのです。

しかし、フッサールは経験から出発することを説きました。我々が日々、この瞬間に経験している「この経験」こそが、哲学の地平であると説いたのです。そのように考えることで、人間が行う精神活動、身体感覚、経験世界を、学問の領野に囲い込むことができたのです。