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101回目の来日を機に、ボブ・ディランの音楽遍歴を徹底解剖する

彼の活動は「9つの時代」に分けられる

日本人はディランの曲に興味がない

ボブ・ディランがまた日本にやってくる。

ディランは1978年以来、何度も日本公演を行っている。おそらく、ディランを生で見たいとおもった日本人なら、一度は見られているはずである。それぐらい何年かおきにこまめに日本に来てくれている。

今回は単独公演ではなく「フジロックフェスティバル」への参加である。

前回の来日は2016年の春で、ノーベル賞を取ったのは2016年の暮れだったから、受賞後、初来日となる。おそらくそのポイントで話題になるだろう。

ただ、最近、つくづくおもい知ったのだが、ほとんどの日本人は、ボブ・ディランの名前は知っているが、彼の音楽には興味を持っていない、ということである。

ほんっとに何も興味がない。いまだにボブ・ディランといえば「風に吹かれて」であり「ライク・ア・ローリングストーン」でしかない。テレビのニュースで取り上げられると、そのあたりの曲しか流れていない。すんごい昔で勝手にディランを止めている。

最初のヒット曲「風に吹かれて」は1963年の曲であり、フォーク路線を変えて話題となった「ライク・ア・ローリングストーン」は1965年の歌である。昭和でいえば38年と41年だ。

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ちなみに昭和38年のレコード大賞は梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」で新人賞が舟木一夫の「高校三年生」、昭和41年のレコード大賞は美空ひばりの「柔」だ。その時代の歌を引っ張りだしてきている。

1960年代に売れて、その後まったくヒット曲がないなら仕方ないが、ボブ・ディランは、2000年代になってもグラミー賞を取ったり、ビルボード1位のアルバムを出したりしている「新曲を出し続けている現役歌手」なのである。

だのに2018年でも『風に吹かれて』で『こんにちは赤ちゃん』で『ライク・ア・ローリングストーン』で『柔』である。ちょっと、何なんだろう、と茫然としてしまう。
ボブ・ディランがアメリカの人だからなのだろう。

 

変わり続けるディラン

ボブ・ディランは、ずっと変転しつづけている。

転がり続けているために、その姿がまったくつかめない。

アルバムが出るたびに買って、その詩を眺め、曲を聴き、繰り返し聞くと、そのアルバムはつかめるが、ディランの流れがつかめない。1960年代からそうで、2010年代になっても同じである。そういう作業を繰り返すマニアックなファンほど、彼の本来の姿に気づきにくい、という皮肉な結果をもたらしてしまう。

40年以上、彼を追い続けている日本のファンたちは、だから、諦めている。ボブ・ディラン様の考えることなぞが、極東の日本人のわれわれにわかるはずがない、と、1970年代的なメンタリティになってしまう。おそらくアメリカ人でもわかってないはずなのだが、日本人はとくにわかるわけない、と勝手に強く感じてしまっている。

ちないにいま、ボブ・ディランは「ムード歌謡の時代」にいる。

「ムード歌謡の時代」というのは、私の勝手な造語なのだけれど、ここのところの作品を聞いて、ふつうにおもった感想である。

スタジオ録音アルバムとしては36作目となる2015年の『シャドウ・イン・ザ・ナイト』から、ボブ・ディランはフランク・シナトラたちの曲をカヴァーし始めたのである。最初、よくわからなかった。

まあ、そういうこともあるのだろう、とおもっていたら、2016年の『フォールン・エンジェルズ』、そしてノーベル賞受賞後第一作にあたる『トリプリケート』に至るまで、ずっとムード歌謡で押し続けている。