「LGBTは生産性がない」杉田水脈氏大炎上「ザワザワ感」の正体

これは日本社会の構造的問題だ
井戸 まさえ プロフィール

「ただ、彼女は井戸さんが指摘するような男社会の捨て駒ではない。単に宗教化した右翼的社会のマドンナ。その位置を自ら望んだわけですから、今の炎上状態に同情することもない。

真剣に思想から勉強した人間とは別の存在です。『右翼が馬鹿』というレッテルが貼られるのも、この連中を見ているとよくわかります。一般常識も礼節も分からず、論理的な思考よりも、勇ましい言葉の方を重んじてしまう」

なるほど、周囲から見れば同じ「右翼」だが、その内側では杉田氏の存在は厄介で迷惑なものだと捉えられてもいたのである。

「でも、杉田氏の様な存在は、リベラル、若しくは左翼的な集団でもいるのでは?人権や環境を唱えていれば、その集団でもてはやされている人が」

たしかに。私が杉田氏の「炎上」にワサワサするのは、批判している側にも同じ危険性があると感じているからに違いない。

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「一般社会といかに乖離していようが、ある組織の中では神の様にもてはやされている人がいる。一部、一定数存在する階層に対して神対応することで、周囲が嫌悪感しか感じていないのに、比較優位に立ってしまう」

そして「自分はすごい」と勘違いする。周りも「あの人はすごい」と勘違いする。

「杉田水脈氏だけでなく、右翼業界だけでなく、今の日本社会には蔓延しているこの「勘違い」こそ、危惧しなければならないと思います」

杉田氏の誕生とその後の変化も見てきた人だからこその説得力がある。

 

自分たちの望むことだけを言う人を重用し、賞賛し、何を言っても肯定する――。

こうしたことの繰り返しは、実は、今杉田氏を批判している人々も含み、主義主張にかかわらず新たな「杉田水脈」を産み出す危険性を孕んでいるのだ。そのことに無自覚でいてはならないと思う。

先日、リベラル系のある講演会に行ったところ、まさに目の前で繰り広げられていたのはそんな光景だった。

政治的敵対者が発すれば「セクハラ」と問題になるだろうことが、軽いジョークとして受け入れられていく、むしろ喝采されているさまは衝撃だった。

実際、既にその芽が身近にあるからこその「ザワザワ感」なのかもしれない。